有馬温泉ありまおんせん

有馬温泉の開湯は、神代*1からという伝承もあるが、もっとも古い記録としては「日本書紀」に舒明天皇及び孝徳天皇*2が行幸されたことが記されている。さらに平安時代には和歌に詠み込まれ、枕草子*3にもその名が出ており、極めて古くから都の貴庶を問わず入湯に来たことがうかがわれる。
 また、「有馬温泉寺縁起」では、奈良時代の僧行基が薬師如来の霊験によりこの地に導かれ温泉寺を開基したと伝え、その後一時衰退したが、鎌倉時代に入り、僧仁西*4が温泉寺を再建するとともに、有馬温泉を再興したともされる。この際に宿坊12坊を置いたとされ、これがその後の有馬温泉の発展につながったとされる。1585(天正13)年には豊臣秀吉*5が、それまでに大火などで壊れた温泉場を修築、さらに1596(慶長元)年の大地震の復興も行った。江戸時代に入ってからは、湯女(ゆな)の人気も手伝い、文化文政期(1804~1830年)には最盛期*6を迎えた。その後泉温低下や幕末・明治維新の政情不安もあり、低迷期に入ったが、1883(明治16)年に湯女が廃止され、洋式建築(その後和風に改築)の温泉浴場が竣工し、1899(明治32)年には泉温上昇もあり、1914(大正4)年の鉄道開通などと相まって、再び隆盛を迎えることになった。昭和に入り戦争やバブル崩壊などの影響で起伏はあったものの、現在、宿泊施設54軒(2025年現在)が、有馬川の狭隘な沢に沿って寄り添う様にして建ち並んでいる。 
 泉質は有馬温泉古来の鉄分と塩分を含む茶褐色の温泉「金泉(きんせん)」と、炭酸を含んだ温泉とラドン泉を含む無色のままの2つの泉質がある「銀泉(ぎんせん)」が湧く。
 アクセスは、電車の場合、三宮駅・新神戸駅などからは市営地下鉄谷上駅で神戸電鉄線に乗り換え、さらに有馬口駅から神戸電鉄有馬線に乗り換えると、一駅で終着の有馬温泉駅となる。高速路線バスは三宮、宝塚、姫路、神戸空港、大阪梅田、大阪国際(伊丹)空港などと結ばれている。また六甲有馬ロープウェイが表六甲駅から六甲を越えて通じている。車の場合、裏六甲有料道路や芦有道路が便利である。
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みどころ

近代的な旅館が多い割には、狭い路地が続き、各所から源泉の湯煙が上がり、しっとりとした落ち着きをみせ、昔ながらの温泉街の風情が色濃く残っている。「金の湯」「銀の湯」の外湯があり、浴衣を着ての散策が似合う街並みである。また、六甲山の裏側、三方を山に囲まれた地勢は、盛夏でも比較的涼しくさわやかな気候で、春のサクラ、秋の紅葉が美しい。
 大阪や神戸からのアクセスのバス、鉄道ともに比較的便利で至近であることから日本の温泉情緒を楽しむインバウンド客も多い。
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補足情報

*1 神代:大已貴命と少彦名命の二神が、この地で三羽の傷ついたカラスが水浴をしていたのを見たが、数日後には傷が癒えていることに気付いた。そのカラスが水浴した場所が有馬温泉であったと伝わる。
*2 舒明天皇及び孝徳天皇:「日本書紀」には、631(舒明天皇3)年「秋九月丁巳朔乙亥、津國(摂津国)の有間(馬)の溫湯(いでゆ)に幸(いでま)す。」とし、12月まで滞在したと記録している。また、孝徳天皇は647(大化3)年「冬十月甲寅朔甲子、天皇有間(馬)の溫湯(いでゆ)に幸(いでま)す。」とし、同じく12月まで滞在したと記している。
*3 枕草子:「湯は七久里の湯(別所温泉) 有馬の湯 玉造の湯」としている。 
*4 仁西:「有馬温泉誌」では「有馬温泉寺縁起」を引きつつ1191(建久2)年に大和国吉野郡に住していた僧仁西が「熊野權現の告を得たりとてこゝ尓(に)來りて温泉を再興し 程なく功を奏せしかは大和吉野の河上の民をいざなひ來たり藥師如來の十二神を表して十二の坊舎を建つ 今の湯戸中何々坊と稱するものハその後裔なりと云」と記している。現在は旅館名を変更しているところも多いが、「中の坊」「御所坊」などの名称は使用されている。
*5 豊臣秀吉:秀吉は有馬温泉に9回ほど訪れたといわれている。秀吉が初めて湯治に来たという明確な記録は1583(天正11)年で、その後、年に1、2回のペースで訪れていたという。1594(文禄3) 年には滞在のための館も建てた。1596(文禄5) 年の大地震で有馬温泉は大きな被害を受けたため、秀吉は有馬の復興を支援したという。江戸時代には秀吉ゆかりの建物は破却され、寺院が建立されたが、兵庫県南部地震の後の復旧工事により、極楽寺本堂脇の地下から岩風呂・蒸し楓呂の跡などが発掘され、秀吉の湯殿の跡だと推定された。現在は「太閤の湯殿館」という資料館が開設されている。入館有料。
*6 最盛期:江戸時代中期、文化文政の少し前、寛政年間(1789~1801年)頃には「諸国温泉効能鑑」など全国の温泉番付などが出版されるようになり、西日本の大関(現在の横綱)は「摂州有馬之湯」とされた。ちなみに東日本の大関は「草津之湯」。