丹波篠山の町並みたんばささやまのまちなみ

JR福知山線篠山口駅から丹波篠山の町並みの中心にある篠山城跡*1まで東へ約5km。丹波篠山は兵庫県の東部、篠山盆地の中心に位置する城下町で、篠山川に沿って東西に細長く町並みがつづき、高峻な山地が盆地に迫る。古来、京都と山陰道を結ぶ街道の要衝の町として栄え、1609(慶長14)年に西国外様大名への抑えと大坂(阪)城攻略の要地として篠山城が築かれた。松平康重*2が篠山藩5万石初代藩主として篠山盆地の東端にあった山城の八上城から入城し、松平氏(松井・藤井・形原松平三家)8代と青山氏6代の譜代大名の居城となった。丹波篠山の城下町は初代藩主松平康重により城下町の整備が行われ、その後江戸中期まで順次整備拡張されたが、現在の町割りもおおよそ当時のものが引き継がれている。
 現在は再建された大書院*3がある篠山城跡を中心に北側には江戸期からある町名の二階町などに市役所をはじめ官庁・商店・飲食店が並び、西側の西新町にある御徒士町通りの武家屋敷群*4から城跡南側の堀沿い、そしてさらに東に向って伸びる河原町の妻入商家群*5までは国の重要伝統的建造物群保存地区(東西約1500m、南北約600m、面積約40.2万m2)に選定され、かつての城下町の面影をとどめる町並みが遺されている。町並みの各所には、武家屋敷安間家史料館、丹波古陶館*6、青山歴史村(丹波篠山デカンショ館)、歴史美術館、丹波杜氏酒造記念館*7などの文化施設も点在している。
 年中行事としては、例年8月15日・16日に催される江戸時代から伝わる盆踊り、デカンショ*8祭りが知られている。また、名産品としては丹波栗・黒大豆・丹波焼などがあり、郷土料理として猪肉の鍋であるぼたん鍋も有名で市内各所の料理旅館、食事処で提供されている。
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みどころ

町並みは篠山城跡中心に東西に長く広がるが、さほど広くないため、城跡とその周りの武家屋敷群と商家群などを一巡りしても6kmほどで、半日もあればゆったりと町歩きが楽しめる。コースとしては、城跡の北側にある観光案内所をスタートして、まず、城内の再建された大書院、天守台を見て、南馬出から西側の武家屋敷群へと回り、武士の暮らしぶりが分かる安間家史料館に立ち寄る。それから南堀沿いに東へ向い、重要伝統的建造物群の中でももっとも整備が良くされ、江戸期の町割りと建造物が遺る河原町の妻入商家群へ。ここには古民家を活用したホテル、土産物店、カフェなどが町にとけこみ軒を並べている。その中央辺りにある丹波焼の丹波古陶館を見学するのも良いだろう。さらに町並みを見下ろせる王地山公園から東馬出の前にある丹波杜氏酒造記念館に寄って、市役所前からスタート地点に戻れば、丹波篠山の町並みを十分に堪能できることになる。途中、猪肉などジビエ料理を味わえる食事処も点在するので、こちらに立ち寄ることもお勧めしたい。
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補足情報

*1 篠山城跡:築城は1609(慶長14)年から縄張奉行の藤堂高虎、普請総奉行の池田輝政をはじめ、西日本の15ヵ国20大名の天下普請によって行われた。笹山という小山を利用し一辺約400mの正方形に近い地型の平山城である。天守閣は設けられず、本丸には城主の殿館と大書院が設けられていた。明治には廃城となり、大書院以外の主な建物は取り壊された。
*2 松平康重:1568(永禄11)~1640(寛永17)年。戦国時代・江戸前期の武将。駿河国三枚橋城(沼津城)の城主松平(松井)康親の子(徳川家康の庶子ともいわれる)。小田原の北条攻めに際しては、徳川勢の先鋒として、また、関ケ原の戦の折には掛川城を守るなどの戦功をあげ、1608(慶長13)年に八上城に入部し5万石余りを賜り、翌年には築城中の篠山城に入った。のちに和泉岸和田城に移封。なお、康重の後任は同じく譜代の藤井松平家の松平信吉が上野国高崎藩から転封した。 
*3 大書院:1609(慶長14)年の築城と同時に建築されたものとされ、京都二条城「二の丸御殿の遠侍」と称する建造物に外観、部屋割りなどが似ているとされている。ただ、この建物は1944(昭和19)年に焼失しており、現在のものは2000(平成12)年に復元再建したものである。床面積約739m、棟高約3mの平屋建て、入母屋造・杮葺き。入館有料。
*4 御徒士町通りの武家屋敷群:篠山城跡の外堀に面して上級武士の屋敷の長屋門が数棟残され、城の西に位置する南北の御徒士町通り(西新町)には、間口平均8間、奥行25間という武士の屋敷の地割が遺され、1830(天保元)年の大火直後に建てられた茅葺入母屋造りの武家屋敷などが見られる。公開しているのは安間家史料館(有料)のみ。
*5 河原町妻入商家群:城跡の南東端から東に延びる700mほどの町並みの小川町と河原町は旧商家町で江戸末期から昭和初期までの町家や土蔵造りが建ち並ぶ。間口は平均3間、奥行は20~60間の敷地割が多く、商家町の町割りをよく遺す。主屋は妻入中二階建て、棧瓦葺き。外壁は大壁造りの漆喰仕上げ、二階の窓は虫籠窓が見られ、表の構えは大戸と格子の造りが多い。
*6 丹波古陶館:丹波焼は平安時代末期からの古陶で、同館では、創成期から江戸時代末期までの約700年間にわたって作陶された作品を年代・形・釉薬・装飾等に分類して展示している。入館有料。
*7 丹波杜氏酒造記念館:江戸期から日本有数の酒蔵が建ち並ぶ灘五郷(神戸市)で、「灘の生一本」で知られる灘の酒造りを支えてきた技術集団が「丹波杜氏」。江戸時代には農閑期の出稼ぎとして、当地から大阪の伊丹、池田、神戸の灘五郷で酒造りを行ってきた。同館では酒造りの工程や道具を展示し、丹波杜氏の歴史に関する資料も用意されている。入館は協力金が必要。
*8 デカンショ:デカンショ祭りは篠山の盆踊りだが、その際に歌われるデカンショ節は、江戸時代から伝わる「みつ節」が変形したものだとされている。歌詞は多種あるが「丹波篠山山家の猿が(ヨイヨイ)花のお江戸で芝居する(ヨオーイ ヨオーイ デカンショ)」、「デカンショデカンショで半年暮らすあとの半年寝て暮らす」などが知られている。また、この歌は旧制第一高等学校に進学した篠山出身の学生によって持ち込まれ、当時の一高生に受け入れられ、世間に広まったという。デカンショの掛け声は踊り唄にある「ドッコイショ」が訛って「デカンショ」となったという説や学生たちが哲学者の「デカルト」「カント」「ショウペンハウエル」の頭文字をもじったなど諸説がある。

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