岸和田だんじり祭
「だんじり」*1は「地車」あるいは「壇尻」とも表記され、摂津・河内・和泉などの大阪を中心に西日本の祭の神幸行列で、地域により型式や曳き回し方には差異があるものの、ひろく見られる山車のことである。
そのなかでも、岸和田の「だんじり祭」は江戸中期からの歴史*2を誇り、各町会*3の「だんじり」が町中を勇壮、豪快に走り回り、「だんじり」の屋根の上では大工方が華麗に踊ることで知られている。一方、夜には提灯で華やかに飾り付け、静かに曳行する。「岸和田だんじり祭」は、市内の地区ごとに9月中旬の9月祭礼(2地区)と10月上旬の10月祭礼(6地区)があり、もっとも賑わうのは、南海岸和田駅・岸和田城周辺の岸和田地区の9月祭礼である。
同地区での例大祭は9月15日に、岸城神社・岸和田天神宮・弥栄神社で行われ、それぞれ氏子が氏神にお参りする。現在だんじり祭は9月敬老の日の前日・前々日の土日とされる。「だんじり」の試験曳きが祭りの2週間前と前日に行われ、その間、各町内で清祓式が執り行われる。祭りの1日目は早朝に曳き出し、午前午後にそれぞれに曳行を行ない、午後には岸和田駅前に向け22台の「だんじり」がパレードする。夕方には灯入れ曳行となる。2日目は午前中に岸城神社へ15台・岸和田天神宮へ6台・弥栄神社へ1台の「だんじり」が順次宮入りし、午後は再び曳行、夕方からは灯入れ曳行となり、祭りは終了する。
なお、岸和田城の南西の堀端近くには「だんじり会館」があり、「だんじり」の実物の展示と、迫力ある曳行の様子をだんじりシアターで紹介するとともに、祭りに関する各種の資料展示や、太鼓や鉦の鳴り物を体験できるコーナーなどがある。入館有料。
そのなかでも、岸和田の「だんじり祭」は江戸中期からの歴史*2を誇り、各町会*3の「だんじり」が町中を勇壮、豪快に走り回り、「だんじり」の屋根の上では大工方が華麗に踊ることで知られている。一方、夜には提灯で華やかに飾り付け、静かに曳行する。「岸和田だんじり祭」は、市内の地区ごとに9月中旬の9月祭礼(2地区)と10月上旬の10月祭礼(6地区)があり、もっとも賑わうのは、南海岸和田駅・岸和田城周辺の岸和田地区の9月祭礼である。
同地区での例大祭は9月15日に、岸城神社・岸和田天神宮・弥栄神社で行われ、それぞれ氏子が氏神にお参りする。現在だんじり祭は9月敬老の日の前日・前々日の土日とされる。「だんじり」の試験曳きが祭りの2週間前と前日に行われ、その間、各町内で清祓式が執り行われる。祭りの1日目は早朝に曳き出し、午前午後にそれぞれに曳行を行ない、午後には岸和田駅前に向け22台の「だんじり」がパレードする。夕方には灯入れ曳行となる。2日目は午前中に岸城神社へ15台・岸和田天神宮へ6台・弥栄神社へ1台の「だんじり」が順次宮入りし、午後は再び曳行、夕方からは灯入れ曳行となり、祭りは終了する。
なお、岸和田城の南西の堀端近くには「だんじり会館」があり、「だんじり」の実物の展示と、迫力ある曳行の様子をだんじりシアターで紹介するとともに、祭りに関する各種の資料展示や、太鼓や鉦の鳴り物を体験できるコーナーなどがある。入館有料。

みどころ
「だんじり」あるいはその類いの山車・屋台は全国各地の祭礼における主役のひとつだが、その巡幸に際し、曲がり角などでの方向転換は最大のみどころとなる祭りも多い。多くの祭りは慎重に方向転換をするが、この岸和田の「だんじり」は勢いよく走りながら直角に向きをかえるのが特徴だ。重さ4t超の「だんじり」が走りながら方向転換をする「やりまわし」を行なうのだから、そのスピード感と迫力は際立っている。祭りの2日間に「だんじり」は定められたコースに沿って何周も駆け巡り、「やりまわし」を行なう。最大の見せ場は、2日目の宮入りする際に小半(こなから)坂を駆け上がり城に向かっての「やりまわし」だ。その勢いに圧倒される。そうした駆け巡り、「やりまわし」の最中にも、「だんじり」の屋根の上では大工方が華麗に舞い、スリル満点である。こうした迫力ある「だんじり」の走り、曳き回しが可能なのは町ごとの連帯感と信頼感が醸成されているということには感心せざるを得ない。
こうした昼間の激しい動きに対し、「だんじり」に沢山の提灯をつめた、夕方からの「灯入れ曳行」は、「静」の美しさだ。こちらも見逃せない。
こうした昼間の激しい動きに対し、「だんじり」に沢山の提灯をつめた、夕方からの「灯入れ曳行」は、「静」の美しさだ。こちらも見逃せない。

補足情報
*1 だんじり:森田玲によると「地車は俄をはじめとした歌舞音曲を披露するための移動式芸能舞台」であったという。「また、その形態は淀川を往来した豪華絢爛の川御座船を模した」屋形式地車が生れ、「後に社寺建築の工法を導入し、飾幕や彫刻などの装飾を施す地車」、組物式地車が現れたという。屋形式地車が初めて宮入りしたのは大阪の天満宮で18世紀前半だったとされ、その後、形を変えながら各地に伝播したと森田は推測している。岸和田の「だんじり」もこの影響を強く受けていると考えられている。
*2 歴史:岸和田の「だんじり祭」のはじめとして、1703(元禄16)年第3代藩主岡部長泰が、京都伏見稲荷を城内三の丸に勧請し、神祭事として行った五穀豊穣の稲荷祭があるという。また、一方では、この稲荷社より古くから当地にあった氏神の岸城神社(当時は牛頭天王社)があり、祭礼もあったが、提灯などの飾りつけなどはなかったという。岸和田市史によると1745(延享2)年に町の有力者たちが大坂の賑やかな祭りに触発され、これらの祭礼でも提灯などの飾り付けを行うことを藩役所に申し出たところ、許可を得、さらに藩主から両社に対し、大小の幟や太皷が下賜されたという。これをもとに子どもたちが城下を練り歩いた。そして、「長持に車を付けたような」小さな「だんじり」が曳きまわされるようになり、天明年間(1781~1789年)になると、「だんじり」に破風付き屋根が付けられ、これを担ぎながら、歌と囃子で城下を巡るようになったという。さらにその後、「だんじり」は大型化が進み、曳き回す形に変化し、徐々に現在の形に近づいたとされる。
*3 各町会:だんじり祭の運営については、だんじりを保有する各町会で、こどもから大人まで年齢層ごとに役割の分担が決まっており、幅広い世代の統制をとることにより円滑な運営がなさているのが特徴だ。一方、各地区のだんじり祭全体の総括的な運営は、毎年各町会から選出される「年番」により行われる。年番を代表する年番長がその年の祭りを統括することになる。
*2 歴史:岸和田の「だんじり祭」のはじめとして、1703(元禄16)年第3代藩主岡部長泰が、京都伏見稲荷を城内三の丸に勧請し、神祭事として行った五穀豊穣の稲荷祭があるという。また、一方では、この稲荷社より古くから当地にあった氏神の岸城神社(当時は牛頭天王社)があり、祭礼もあったが、提灯などの飾りつけなどはなかったという。岸和田市史によると1745(延享2)年に町の有力者たちが大坂の賑やかな祭りに触発され、これらの祭礼でも提灯などの飾り付けを行うことを藩役所に申し出たところ、許可を得、さらに藩主から両社に対し、大小の幟や太皷が下賜されたという。これをもとに子どもたちが城下を練り歩いた。そして、「長持に車を付けたような」小さな「だんじり」が曳きまわされるようになり、天明年間(1781~1789年)になると、「だんじり」に破風付き屋根が付けられ、これを担ぎながら、歌と囃子で城下を巡るようになったという。さらにその後、「だんじり」は大型化が進み、曳き回す形に変化し、徐々に現在の形に近づいたとされる。
*3 各町会:だんじり祭の運営については、だんじりを保有する各町会で、こどもから大人まで年齢層ごとに役割の分担が決まっており、幅広い世代の統制をとることにより円滑な運営がなさているのが特徴だ。一方、各地区のだんじり祭全体の総括的な運営は、毎年各町会から選出される「年番」により行われる。年番を代表する年番長がその年の祭りを統括することになる。
関連リンク | 岸和田市観光課観光振興担当(WEBサイト) |
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参考文献 |
岸和田市観光課観光振興担当(WEBサイト) 岸城神社(WEBサイト) 「日本だんじり文化論: 摂河泉・瀬戸内の祭で育まれた神賑の民俗誌」森田玲 創元社 2021年 「岸和田市史 第5巻(現代編)」1977年 292~293/440 国立国会図書館デジタルコレクション 「岸和田市史 第3巻(近世編)」2000年 249~253/371 国立国会図書館デジタルコレクション |
2025年03月現在
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