大徳寺だいとくじ

船岡山の北、北大路通の市バス大徳寺前のすぐ北が大徳寺。境内の東を通る大徳寺通に向かって総門が開き、西は今宮門前通を越えて千本通近くにまで及び、西端は塔頭孤篷庵。間に京都市立紫野高校や民家を挟んでいる。
 臨済宗大徳寺派大本山、宗峰妙超(大燈国師)が1315(正和4)年に、赤松則村の援助で建てた小庵に始まる。花園上皇から寄進を受けて寺地を拡大し、後醍醐天皇の勅願所にもなり、京都五山*第1位の南禅寺と同格にされた。しかし、室町時代、足利家から疎んぜられて五山からはずされ、十刹第9位に落とされたこともあり、五山制度から離脱。その後応仁の兵火にかかって衰微したが、1474(文明6)年、一休宗純が47世住持となって、堺の豪商の支持を得て再建。1582(天正10)年には豊臣秀吉が織田信長の葬儀をここで挙行し、寺領を寄進、戦国大名も競って塔頭を建立した。1636(寛永13)年に法堂・方丈などが再建され、規模は最盛期を迎えたが、明治の廃仏毀釈運動によって多くの塔頭が廃絶した。 
 今も境内は広大で、数十もの堂宇が並び、寺町という語がふさわしい景観である。境内東寄りに典型的な禅宗伽藍配置を示して三門・仏殿・法堂などが一直線上に建っている。築地塀に囲まれた21の塔頭は、方丈、茶室、庭園、襖絵など、室町から江戸時代にわたる多くの文化財を伝えている。
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みどころ

総門を入るとすぐに勅使門*、そこから北へ三門*・仏殿*・法堂*と続き、その先に本坊である庫裏と方丈*が立ち、方丈からは見事な庭園*と唐門*が見られる。金毛閣と称する三門は、楼上に利休の像を安置したことから秀吉の怒りを買い、利休切腹の一因となったという話は有名。本坊をはじめ諸伽藍内部は通常非公開だが、特別公開されることもある。ただし方丈は2027(令和9)年(予定)まで修復工事中。塔頭のうち常時公開しているのは龍源院*、瑞峯院*、大仙院*の3院である。一休宗純が開祖の真珠庵*、千家歴代が眠る聚光院、石田三成の墓がある三玄院、茶室忘筌(ぼうせん)で知られる孤蓬庵(こほうあん)など、そのほかの塔頭は通常非公開だが、特別公開がある場合も。
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補足情報

*京都五山:中国南宋時代の五山官寺制度が鎌倉時代に伝わり、鎌倉五山が誕生した。その後、室町幕府が臨済宗寺院を統制するために京都五山の制度を設けた。五山に最高の寺格が与えられ、その下に十刹、諸堂が列したが、その選定や順位は何度か変遷し、足利義満のときに南禅寺を頂点に、1位天龍寺、2位相国寺、3位建仁寺、4位東福寺、5位万寿寺と定まった。
*勅使門:重要文化財。切妻造、檜皮葺の禅宗様四脚門で、もと京都御所の南門であったと伝える。
*三門:重要文化財。1526(大永6)年に単層の門として建立され、1589(天正17)年、利休が上層を完成したという。5間3戸、入母屋造、禅宗様建築である。上層に釈迦三尊・十六羅漢像とともに利休像を安置。
*仏殿:重要文化財。正面5間、側面4間、重層、入母屋造の禅宗様建築で、1665(寛文5)年の再建である。内部には本尊釈迦如来像を安置し、天井画の飛天は狩野元信筆という。
*法堂:1636(寛永13)年の建築で、小田原城主稲葉正勝の寄進。正面7間、側面6間、仏殿と同型である。内部は瓦敷で、天井に狩野元信筆の雲龍図がある。
*方丈:国宝。1636(寛永13)年に京都の豪商後藤益勝が建立した。単層、入母屋造、桟瓦葺の簡素ながら大建築である。人物・山水・花鳥図の方丈障壁画83面(重要文化財)は狩野探幽の作。普通、方丈は6室だが、ここは8室に分かれ、1室を開山堂「雲門庵」としている。方丈に付属する住持専用の玄関も国宝。                                                                                                          方丈庭園:特別名勝・史跡。南庭は169世住持天祐紹杲(じょうこう)の作。白砂を敷き詰め、中央手前に2基の砂盛、東南隅に巨石を中心として石組を連ね、背後に椿の刈込みをあしらっている。東庭は小堀遠州作と伝え、七・五・三に石を配し、かつては比叡山を借景としていたが、今は背後を生垣で隠している。
*唐門:国宝。方丈南庭背後の土塀に設けられた切妻造、檜皮葺の四脚門で、聚楽第の遺構と伝える。前後に軒唐破風が付けられ、獅子・松・孔雀・滝に鯉などの装飾彫刻が豊富に施された桃山時代特有の絢爛豪華な建築。
*龍源院:客殿・表門・木造釈迦如来坐像はいずれも重要文化財。客殿北側の龍吟庭は、苔庭に三尊石組を置く室町時代の枯山水庭園。
*瑞峯院:大友宗麟自ら菩提寺として創建。客殿・表門は重要文化財。客殿の周囲にある3庭は、重森三玲の作で、北庭はキリシタン大名であった宗麟にちなみ、7つの石を十字架になぞらえて据えている。
*大仙院:1509(永正6)年の創建。国宝の客殿は1513(永正10)年の建立。床の間と玄関を設けた客殿としては日本最古とされる。客殿北東部から東側にかけてつくられた国史跡・特別名勝の庭は、巨石の滝石組みから流れ下って大河となる水の流れを表現する、室町時代を代表する枯山水庭園。書院は重要文化財。
*真珠庵:一休宗純が開祖。江戸初期に再建された方丈は重要文化財。長谷川等伯や曾我蛇足の襖絵も重要文化財だが、現代の襖絵にも注目。客殿東庭は七・五・三に石を組んだ細長い枯山水庭。
関連リンク 京都市観光協会 京都観光Navi(WEBサイト)
参考文献 京都市観光協会 京都観光Navi(WEBサイト)
「京都府の歴史散歩 上」山川出版社

2025年05月現在

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