藤森神社ふじのもりじんじゃ

京阪本線墨染駅から神社正面である南門まで徒歩7分、JR奈良線藤森駅からは徒歩5分。深草から東福寺付近にかけての産土神で、素盞嗚尊、神功皇后、舎人親王など、12柱を祀る。社伝によると神功皇后が新羅出兵の凱旋後、この地に旗と兵具を埋め神祀りをしたのが起こりとされている。その後、伏見稲荷大社の社地*にあったと伝え、稲荷社の創立にともなって合祀された天武・舎人の2柱、更には、東福寺辺りに祀られていた早良親王*などの荒御魂(あらみたま)を合祀、江戸時代に御所の建物を移したという本殿内に設けられた中座・西座・東座にその歴史を残している。本殿左後方の大将軍社*は平安京造営の際に四方に祭られた方除け神といわれ、社殿は国の重要文化財。
 藤森神社は勝ち運のほかに、5月5日の藤森祭で行われる有名な駈馬(かけうま)神事*などから、馬の守護神としても信仰されている。
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みどころ

一の鳥居から北へ参道が延び、奥に割拝殿を通して本殿が望まれる。切妻造、桧皮葺、1712(正徳2)年に御所の建物を移したという。本殿右手奥にある摂社八幡宮本殿は1494(明応3)年の墨書銘があり、左手奥にある大将軍社社殿とともに、室町時代、足利義教の造営と伝える。両社殿とも国の重要文化財。八幡宮へ行く途中には神功皇后伝説の御旗塚がある。拝殿右手前の宝物殿には武将が奉納した多くの武具を収蔵し、なかでも紫糸威鎧は国重要文化財指定。太刀「鶴丸国永」の写しもここにある。馬の博物館も併設。境内2か所にある紫陽花園では3,500株のアジサイが咲く。
 藤森祭には3基の神輿と武者行列が氏子町内を巡行する。菖蒲の節句はこの祭りが発祥ともいわれる。駈馬神事は南門から長さ約180mの参道で行われる。
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補足情報

*伏見稲荷大社の社地:いまでも伏見稲荷門前の町は藤森神社の氏子圏で、かつては藤森祭*に「社地を返しや」と声をかけ、稲荷側が「いまお留守」と応じたという。伏見稲荷大社の表参道左手にあって舎人親王を祭る藤尾社が、その故地といわれ、現在も藤森祭では神輿が寄せられ、供物が捧げられる。
*早良親王:?~785年。光仁天皇の第2皇子、桓武天皇の同母弟。桓武天皇即位で皇太子となったが、藤原種継暗殺事件に連座し、淡路島へ流される途中に断食して憤死。死後、その霊をなだめるため崇道天皇と追号された。
*大将軍社:平安京の四方とは、東が地下鉄東山駅に近い大将軍神社または岡﨑神社、北が今宮神社境内の大将軍神社または西賀茂の大将軍神社、西が大将軍八神社、南が藤森神社の大将軍神社。大将軍神は牛頭(ごず)天王の子で、素盞嗚尊と同一とされる。また、牛頭天王と素盞嗚尊は同一ともいわれ、この場合は大将軍イコール素盞嗚尊となる。
*駈馬神事:早良親王が781(天応元)年に陸奥の反乱に対し征討将軍の勅を受けて出陣する際に、藤森神社に参詣、戦いの決意を示した行為が始まりといわれる。江戸時代には大陸系の曲芸的な馬術「曲馬(くせうま)」の影響を受けたとされる。馬上で寿や左馬の字を書く「一字書き」、落馬したようにみせかける「藤下がり」、敵の矢を打ち払いながら駈け抜ける「矢払い」などの演目がある。
関連リンク 藤森神社(WEBサイト)
参考文献 藤森神社(WEBサイト)

2025年05月現在

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