京都仙洞御所
京都御苑*の東寄り、寺町御門と清和院御門の間にある。地下鉄烏丸線丸太町駅から徒歩15分、京都市バス府立医大病院前からは徒歩10分。仙洞とは上皇の住むところをいうが、ここは1630(寛永7)年徳川幕府が後水尾上皇のために小堀遠州を奉行として二条城の行幸御殿を移して造営したもので、もとは桜町殿と称した。御殿はその後火災と再建を繰り返し、1754(嘉永7)年に茶室醒花亭以外の建物を焼失したままだが、遠州の指導と後水尾上皇の改修による池泉回遊式の大庭園が残っている。北池と南池と呼ばれる2つの大きな池が広がるが、もともとは別々の庭で、北池側は隣接する大宮御所*の庭として造られ、のちに連続する庭とされた。
仙洞御所の庭の北池西側にあるのが京都大宮御所。いま立っているのは御常(おつね)御殿だけで、その正面右手から、御常御殿南庭を通り、京都仙洞御所へと入っていく。
仙洞御所の庭の北池西側にあるのが京都大宮御所。いま立っているのは御常(おつね)御殿だけで、その正面右手から、御常御殿南庭を通り、京都仙洞御所へと入っていく。

みどころ
庭園は東西約100m、南北約300mの地に掘割でつながれた北池と南池を中心とする。さまざまな石組を置き、池に中島を造り、石橋・土橋など変化ある橋を架け、借景に東山も取り込み、茶室を配した林泉のたたずまいがみごとな回遊式庭園である。サクラやツツジ、フジなどの花も目を楽しませる。
入口には京都大宮御所御常御殿の御車寄(おくるまよせ)があり、2つの千鳥破風の下に玄関の唐破風を重ねた三層の屋根が、優美な雰囲気を漂わせる。御殿南庭は紅白のウメ、マツ、タケなどが植えられ、松竹梅の庭と呼ばれる。築地塀に開いた入口から京都仙洞御所に入ると、皇太后の庭園であった北池のおだやかな景観が広がり、中島は自然の石を大胆に組み合わせた護岸が特色である。紅葉橋で掘割を渡り、紅葉山を過ぎれば南池エリア。池には高さ2mほどの雄滝が1枚石を滑り落ち、出島の護岸は切り石と自然石を組み合わせたもので、シャープな切り石が自然石の美しさを引き出している。南池南西部にはこの庭最大の見どころである洲浜が幅10m前後、長さ100mを越えて広がる。洲浜には粒のそろった丸石*が約11万個敷きつめられており、そのスケールの大きさに圧倒される。藤棚に覆われた八ツ橋を通り、中島を経て南池の最南端に至ると、唯一火災を免れた杮葺、数寄屋造の醒花亭(せいかてい)*がたたずむ。南池の西側の道は「桜の馬場」といい、サクラが連なっている。観覧コースでは最後になるが、北池西端そばに、茅葺と杮葺の屋根を連ねる簡素な茶室の又新亭(ゆうしんてい)がある。
●京都仙洞御所参観には事前予約が必要。当日受付枠もある。詳細は公式WEBサイトで要確認。参観は係員が順路に沿って案内し、約60分。
入口には京都大宮御所御常御殿の御車寄(おくるまよせ)があり、2つの千鳥破風の下に玄関の唐破風を重ねた三層の屋根が、優美な雰囲気を漂わせる。御殿南庭は紅白のウメ、マツ、タケなどが植えられ、松竹梅の庭と呼ばれる。築地塀に開いた入口から京都仙洞御所に入ると、皇太后の庭園であった北池のおだやかな景観が広がり、中島は自然の石を大胆に組み合わせた護岸が特色である。紅葉橋で掘割を渡り、紅葉山を過ぎれば南池エリア。池には高さ2mほどの雄滝が1枚石を滑り落ち、出島の護岸は切り石と自然石を組み合わせたもので、シャープな切り石が自然石の美しさを引き出している。南池南西部にはこの庭最大の見どころである洲浜が幅10m前後、長さ100mを越えて広がる。洲浜には粒のそろった丸石*が約11万個敷きつめられており、そのスケールの大きさに圧倒される。藤棚に覆われた八ツ橋を通り、中島を経て南池の最南端に至ると、唯一火災を免れた杮葺、数寄屋造の醒花亭(せいかてい)*がたたずむ。南池の西側の道は「桜の馬場」といい、サクラが連なっている。観覧コースでは最後になるが、北池西端そばに、茅葺と杮葺の屋根を連ねる簡素な茶室の又新亭(ゆうしんてい)がある。
●京都仙洞御所参観には事前予約が必要。当日受付枠もある。詳細は公式WEBサイトで要確認。参観は係員が順路に沿って案内し、約60分。

補足情報
*京都御苑:京都御所と大宮・仙洞御所を含む広い緑地。その地域は東は寺町通から西は烏丸通まで、北は今出川通から南は丸太町通までの東西約700m、南北約1,300m、面積約65万m2に及ぶ。苑内は玉砂利を敷きつめた広い道が縦横に走り、緑の芝生と樹木の間に築地塀と宮殿の屋根が見え隠れしている。もとは御所を囲んで、皇族・公卿の邸宅が立ち並んでいたが、1869(明治2)年に東京へ皇居が遷された後、建物が次第に取り払われ、現在のような公園になった。御苑の西側には幕末1864(元治元)年の「禁門の変」(蛤御門の変)で有名な蛤御門があり戦いの際の銃弾痕がこの門に多く残っている。
*大宮御所:寛永年間(1624~1644年)に徳川幕府が後水尾天皇の中宮(妻)の東福門院(徳川秀忠の娘)のために造営したものが元となっており、仙洞御所と廊下でつながっていた。1867(慶応3)年に新たに造営されたが、東京遷都とともに建物の多くを撤去、いまは御常御殿と付属の建物が残るだけである。現在は東京に上皇后がおられるので、こちらは京都大宮御所と呼ぶ。
*丸石:1812(文化9)年に小田原藩主大久保忠真が寄進。石1つを米1升で調達したため1升石と呼ばれたと伝わる。
*醒花亭:1808(文化5)年再建。付書院の違い棚などに斬新な意匠が見られる。
*大宮御所:寛永年間(1624~1644年)に徳川幕府が後水尾天皇の中宮(妻)の東福門院(徳川秀忠の娘)のために造営したものが元となっており、仙洞御所と廊下でつながっていた。1867(慶応3)年に新たに造営されたが、東京遷都とともに建物の多くを撤去、いまは御常御殿と付属の建物が残るだけである。現在は東京に上皇后がおられるので、こちらは京都大宮御所と呼ぶ。
*丸石:1812(文化9)年に小田原藩主大久保忠真が寄進。石1つを米1升で調達したため1升石と呼ばれたと伝わる。
*醒花亭:1808(文化5)年再建。付書院の違い棚などに斬新な意匠が見られる。
関連リンク | 宮内庁(WEBサイト) |
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参考文献 |
宮内庁(WEBサイト) 「京都府の歴史散歩 上」山川出版社 |
2025年05月現在
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