賀茂御祖神社(下鴨神社)かもみおやじんじゃ(しもがもじんじゃ)

世界文化遺産。京阪鴨東線と叡山電鉄の出町柳駅から高野川を渡って北へ徒歩10分。上賀茂神社が祀る賀茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)の母神である玉依媛命(たまよりひめのみこと)と祖父神の賀茂建角身命(たけつぬみのみこと)を祭神とし、社伝では神武天皇の御代に比叡山西麓の御現山(みあれやま)に降臨し、崇神天皇の代に神社の瑞垣(みずがき)が造営されたという。五穀豊穣の神として古代の豪族賀茂氏の信仰の中心であった社で、京都ではもっとも古い神社の一つ。古くは上賀茂神社と一体で賀茂社と呼ばれた。平安遷都後も朝廷の崇敬が厚く、王城鎮守の神として伊勢神宮に次いであがめられ、行幸・式年遷宮*も伊勢に準じて行われた。
 楼門を入ると神社の中枢部で、国宝の東西本殿以下、舞殿・橋殿・細殿など53棟の重要文化財の建物が並ぶ。
 巨木が茂る境内は「糺の森(ただすのもり)」とよばれて古くからその名は知られ、歌にも残る瀬見の小川と泉川が流れている。
 毎年、葵祭の前儀として5月3日に流鏑馬神事*があり、同じく15日に催行される葵祭本番では、御所を出発した路頭の儀の祭列は、下鴨神社へ詣でて社頭の儀を行った後、上賀茂神社へと赴く。
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みどころ

糺の森の中に続く参道を進み、鳥居を潜ると楼門、舞殿、中門。中門を入れば幣殿・東西廊などに囲まれて東本殿・西本殿*があり、西側には三井社が数棟の社殿を構える。さらに西に立つ大炊殿(おおいどの)は神饌調理のための建物。舞殿の手前右手奥の御手洗池*正面には井上社(御手洗社)がある。御手洗池から流れ出た御手洗川は奈良の小川と名を変えて南西に流れて表参道を横切り、さらに瀬見の小川*となって馬場の東端を南に下る。境内東辺を南流するのは泉川。参道の南端近くには鴨長明*ゆかりの河合神社*が鎮座している。
 史跡に指定された12万4,000m2の糺の森は、古代、この周辺一帯が森林地帯であった名残である。ニレ科の落葉広葉樹を主体としていたが、近年はクスノキなどの常緑樹が増えている。
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補足情報

*式年遷宮:神殿をつねに清浄にして祭神の霊威を保つことを願って、一定の年ごとに造替すること。
*流鏑馬神事:400mほどの馬場に設けた約50m四方の3つの的を、狩衣姿の射手が疾駆する馬から射る。
*東本殿・西本殿:両本殿とも1863(文久3)年造替。三間社流造、檜皮葺。東本殿に玉依媛命、西本殿に建角身命を祀る。
*御手洗池:葵祭の斎王代が5月上旬に禊(みそぎ)の儀をするのはここ。土用の丑の日の御手洗祭には穢れを払い、息災を祈って参拝者が足を浸す。
*瀬見の小川:「新古今集」に残る「鴨社歌合せ」での長明の歌は「石川や せみの小河の清ければ 月もながれを たづ尋ねてぞすむ」。なお、「山城国風土記逸文」によると、石川、瀬見の小川は賀茂川を指す名だったという。
*鴨長明:河合神社の禰宜の子として生まれ、「方丈記」を著す。長明が晩年に住んだという方丈の庵が河合神社に復元されている。
*河合神社:神武天皇の母・玉依姫を祀り、柄鏡型の鏡絵馬に自分の口紅で彩色祈願する「美麗の神」として人気。
関連リンク 下鴨神社(WEBサイト)
参考文献 下鴨神社(WEBサイト)
「京都府の歴史散歩 中」山川出版社

2025年05月現在

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