知恩院ちおんいん

正式名称は、華頂山知恩教院大谷寺という、浄土宗の総本山。東山三十六峰の一つ・華頂山の麓に広がる大寺院である。法然上人が草庵を結び人々に念仏の教えを説き、1212(建暦2)年に生涯を閉じた地に建つ。日本最大級の木造門である三門*をくぐり、石組の階段を登り切ると、法然上人の御影を祀る堂々たる大建築の御影堂*がどっしりと構えている。周囲には阿弥陀堂、大方丈・小方丈*、集会堂*、経蔵などが立ち並んでいる。大方丈と小方丈の前には、江戸時代初期に小堀遠州と縁のある僧・玉淵により作庭された方丈庭園が広がる。御影堂の東側にある石段を上ると、知恩院最古の建造物である勢至(せいし)堂(修理工事のため2030〈令和12〉年10月31日まで参拝不可)があり、その傍らには法然上人の遺骨を納めた御廟が佇む。勢至堂からさらに奥へと進むと、縁結びの神様として知られる濡髪(ぬれがみ)大明神*がある。
 知恩院は、1175(承安5)年に法然上人が東山吉水に設けた草庵に始まる。専修念仏の布教に努めていた法然上人は、他宗派の迫害に遭い、1207(建永2)年に念仏停止の命で四国・讃岐に配流となった。4年後には入洛を許されて大谷山上の禅房(現在の勢至堂が立っているところ)に入ったが、翌年病で没した。法然上人入滅後、弟子の源智上人を開山として諸堂を興した。のちに徳川家康が当寺を京都における菩提所と定めたことから、寺領は拡大し、現在の大伽藍が築かれた。御影堂や三門などは国宝に指定され、日本が誇る歴史文化遺産としても有名である。門跡寺院としての風格を備えながらも、法然のみ教え*を受け継ぐお念仏の道場として、広く人々の信仰を集めている。
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みどころ

東大路通にある知恩院前のバス停で下車し知恩院新門の前に立つと、遠く正面に国宝の三門が見える。なだらかな坂(知恩院道)を約5分歩くと三門下に達する。石段下から仰ぐ三門の大きさに圧倒される。三門の高さは約24m、幅約50m、国内最大級の楼門建築である。急な石段を上り、三門をくぐると、ふたたび急な石段(男坂)が出迎える。足・腰に自信のない人には、ゆるやかな石段の女坂が用意されている。石段を上ると、2020年4月に約9年間の修理を終えて落慶した大きな御影堂が眼前にある。石段-三門-石段-御影堂で身が引き締まる思いになる。御影堂には、”知恩院の七不思議”の一つ、「左甚五郎の忘れ傘」があるので見逃さないようにしたい。境内の南東には、大晦日の除夜の鐘で有名な大鐘楼がある。方丈庭園と、友禅苑という2つの庭もみどころだ。
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補足情報

*三門:神宮道に面して立つ。徳川2代将軍秀忠の命で、1621(元和7)年に建立された。正面14間半、側面6間半、重層、入母屋造、本瓦葺。日本最大級の木造門。
*御影堂:境内の中心にあり、法然上人の御影を祀るお堂で、大殿(だいでん)ともいう。和様を基礎に唐様式を加味したスケールの大きな構造。正面24間半、側面19間、入母屋造、本瓦葺。また、御影堂北から集会堂(しゅうえどう)を経て大・小方丈への全長約550mの廊下は、鴬(うぐいす)張りになっている。
*大方丈・小方丈:本堂の北東。いずれも1641(寛永18)年の建立で、入母屋造、桧皮葺。江戸時代初期の方丈建築の代表的なもので、内部は狩野派の襖絵で飾られている。通常非公開。
*集会堂:1635(寛永12)の建立。多くの僧侶たちが参集するので、450畳敷きもの広さがあり、「千畳敷」ともよばれている。
*濡髪大明神:境内墓地の奥にある祠。濡髪が艶やかな女性をイメージするところから、祇園町の女性たちの信仰を集め、今日では縁結びの神としての信仰が厚い。もともとはキツネが童子に化けたときに濡れていたことから、火除けの神だった。
*法然のみ教え:身分や能力、男女を問わず、阿弥陀如来の本願を信じ、「南無阿弥陀仏」を唱えれば誰もが救われるという教え。
関連リンク 知恩院(WEBサイト)
参考文献 知恩院(WEBサイト)
「知恩院」知恩院
「京都府の歴史散歩 中」山川出版社

2025年05月現在

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