萬福寺
JR奈良線・京阪宇治線黄檗駅から徒歩5分。宇治の北方にある。中国明の僧、隠元隆琦(いんげんりゅうき)*が開創した黄檗(おうばく)宗*の大本山。1654(承応3)年63歳で福建省から来朝した隠元が、1661(寛文元)年に中国の黄檗山萬福寺にならって建立。隠元のあと13代まで明僧の住持が続き、14世竜統が日本人で初めて住持となった萬福寺では、儀式作法は明代に制定された仏教儀礼で行われ、毎日読まれる経は、黄檗唐音で発音し、明代そのままの法式梵唄を継承している。明朝様式を取り入れた創建時の建築、伽藍配置をそのまま残し、3棟の国宝、20棟の堂宇・回廊、額、聯などが国の重要文化財。隠元の伝えた普茶料理*も含め、建築、経、日常語まですべて明の様式が色濃く残る寺院である。隠元によってもたらされた中国の文物*はこの寺から広く日本に浸透し、現代にまで及んでいる。

みどころ
伽藍配置に特色があり、総門*をくぐると青松のすがすがしい境内になる。三門前には高さ2.4mの禁牌石(不許葷酒入山門の碑)が立つ。萬福寺の風情を江戸時代後期の女流俳人、菊舎が「山門を出れば日本ぞ茶摘うた」と詠んだ碑は、三門前左手にある。さらに三門*を過ぎると、左手に開山堂*、右手に文華殿*、正面には天王殿*・大雄宝殿*・法堂*が一直線に配置され、右手に東方丈・斎堂*・伽藍堂・鐘楼、左手に西方丈・禅堂・祖師堂・鼓楼が左右対称に並び、その間を回廊と菱形に置かれた敷石が巧みに縫う。法堂、大雄宝殿、開山堂の入口上部の天井が、龍の腹を表す黄檗天井ともいわれる蛇腹天井になっている。高僧の手になる額や聯*が掲げられている建物は南洋産のチーク材を使用し、意匠も中国的である。
天王殿の正面は弥勒菩薩。その化身として布袋和尚像が太鼓腹をつき出して安置されている様は、日本の他宗派では考えられない天真爛漫、おおらかな雰囲気だ。大雄宝殿の異国的風貌の十八羅漢像も必見。斎堂前には萬福寺のシンボルである、大きな魚の開梆(かいぱん)が吊り下がる。
天王殿の正面は弥勒菩薩。その化身として布袋和尚像が太鼓腹をつき出して安置されている様は、日本の他宗派では考えられない天真爛漫、おおらかな雰囲気だ。大雄宝殿の異国的風貌の十八羅漢像も必見。斎堂前には萬福寺のシンボルである、大きな魚の開梆(かいぱん)が吊り下がる。

補足情報
*隠元隆琦:1592~1673年。中国明末の僧で日本の黄檗宗の開祖。1654(承応3)年に長崎興福寺の逸然の招きで来朝。徳川家綱に謁見し、宇治に寺地を与えられ萬福寺を開く。
*黄檗宗:日本三禅宗(臨済・曹洞・黄檗)の一つ。臨済宗の一派だが、宋時代の臨済禅と教義、文化の面でかなり違うため独立宗派になった。建築様式も鎌倉時代の禅宗様(北宋様)ではなく、明時代の影響を受けている。
*普茶料理:「普茶」とは、普(あまね)く多くの人とお茶を共にするという意味で、寺の法要行事が終わったのち茶礼という儀式を行い、そのあとの謝茶(慰労会)で出される中国風精進料理を普茶という。萬福寺で味わうには4人以上で要予約。
*中国の文物:建築、文学、書道、絵画、彫刻、さらに印刷、医学、飲食に至る文化が日本に導入された。インゲン豆・スイカ・レンコン・ナス・タケノコ(孟宗竹)・落花生といった新しい食材、煎茶やダイニングテーブルを使った食事形態、明朝体文字や400字詰め原稿用紙、木版印刷など、江戸町人文化の基となり、現在に伝えられている。
*総門:屋根の上には立派な鯱をのせる。正面の額は「第一義」と書かれ、高泉性潡(しょうとん)の筆。
*三門:ふつうの三門は5間3戸であるが、この三門は3間3戸で重層、入母屋造。隠元筆の「黄檗山」と「萬福寺」の額がかかる。屋根中央に火焔宝珠をのせ、柱は石製太鼓形の礎盤の上に立つのが珍しい。左右には白土塀にくりぬかれた白雲関・通霄路という窟門(くつもん)がある。
*開山堂:三門の左手。屋根に火焔宝珠が付き、卍くずしの勾欄や堂の戸口にある桃の半扉など、法堂などと同様の手法が見られる。右隣に中国の廟の形式を伝える寿塔(隠元の墓)が立つ。
*文華殿:宝物・資料の収蔵と展示をする。春と秋に特別展を開催。通常時は閉館。学術研究機関の黄檗文化研究所も併設。
*天王殿:国宝。中央に弥勒菩薩である布袋(ほてい)和尚像が安置され、その背後に韋駄天(いだてん)像、四囲に四天王像が立つ。禅宗寺院の伽藍配置では三門・仏殿・法堂が直線上に並ぶのが通例であるが、黄檗宗では三門と仏殿の間に天王殿が加わっている。これはラマ教の影響を受けているためともいわれる。
*大雄宝殿:国宝。仏殿にあたる。日本では唯一最大のチーク材を使用した古建築。正面5間、側面6間、重層、入母屋造。角柱、腰高の障子、正面入口に魔除けの桃戸。堂内正面に釈迦如来坐像と阿難・迦葉像、左右に十八羅漢像を安置する。堂前に白砂を敷き詰めた月台(げったい)が広がる。左右の円窓は太陽と月を表わす。
*法堂:国宝。仏殿背後の石段を登る。説法を意味する「獅子吼」の額を掲げ、勾欄は卍くずしの意匠となっている。屋根は和様式の杮葺き、明朝様式との折衷がおもしろい。
*斎堂:大雄宝殿の右手、僧たちの食堂で簡素な机と椅子が並ぶ。廊下には行事の刻限を知らせる大きな木製の魚形の開梆(かいぱん)がかかり、現在も使用されている。木魚の原型。
*聯:建物内外の柱などに左右一対でかけられる漢詩を書いた額。
*黄檗宗:日本三禅宗(臨済・曹洞・黄檗)の一つ。臨済宗の一派だが、宋時代の臨済禅と教義、文化の面でかなり違うため独立宗派になった。建築様式も鎌倉時代の禅宗様(北宋様)ではなく、明時代の影響を受けている。
*普茶料理:「普茶」とは、普(あまね)く多くの人とお茶を共にするという意味で、寺の法要行事が終わったのち茶礼という儀式を行い、そのあとの謝茶(慰労会)で出される中国風精進料理を普茶という。萬福寺で味わうには4人以上で要予約。
*中国の文物:建築、文学、書道、絵画、彫刻、さらに印刷、医学、飲食に至る文化が日本に導入された。インゲン豆・スイカ・レンコン・ナス・タケノコ(孟宗竹)・落花生といった新しい食材、煎茶やダイニングテーブルを使った食事形態、明朝体文字や400字詰め原稿用紙、木版印刷など、江戸町人文化の基となり、現在に伝えられている。
*総門:屋根の上には立派な鯱をのせる。正面の額は「第一義」と書かれ、高泉性潡(しょうとん)の筆。
*三門:ふつうの三門は5間3戸であるが、この三門は3間3戸で重層、入母屋造。隠元筆の「黄檗山」と「萬福寺」の額がかかる。屋根中央に火焔宝珠をのせ、柱は石製太鼓形の礎盤の上に立つのが珍しい。左右には白土塀にくりぬかれた白雲関・通霄路という窟門(くつもん)がある。
*開山堂:三門の左手。屋根に火焔宝珠が付き、卍くずしの勾欄や堂の戸口にある桃の半扉など、法堂などと同様の手法が見られる。右隣に中国の廟の形式を伝える寿塔(隠元の墓)が立つ。
*文華殿:宝物・資料の収蔵と展示をする。春と秋に特別展を開催。通常時は閉館。学術研究機関の黄檗文化研究所も併設。
*天王殿:国宝。中央に弥勒菩薩である布袋(ほてい)和尚像が安置され、その背後に韋駄天(いだてん)像、四囲に四天王像が立つ。禅宗寺院の伽藍配置では三門・仏殿・法堂が直線上に並ぶのが通例であるが、黄檗宗では三門と仏殿の間に天王殿が加わっている。これはラマ教の影響を受けているためともいわれる。
*大雄宝殿:国宝。仏殿にあたる。日本では唯一最大のチーク材を使用した古建築。正面5間、側面6間、重層、入母屋造。角柱、腰高の障子、正面入口に魔除けの桃戸。堂内正面に釈迦如来坐像と阿難・迦葉像、左右に十八羅漢像を安置する。堂前に白砂を敷き詰めた月台(げったい)が広がる。左右の円窓は太陽と月を表わす。
*法堂:国宝。仏殿背後の石段を登る。説法を意味する「獅子吼」の額を掲げ、勾欄は卍くずしの意匠となっている。屋根は和様式の杮葺き、明朝様式との折衷がおもしろい。
*斎堂:大雄宝殿の右手、僧たちの食堂で簡素な机と椅子が並ぶ。廊下には行事の刻限を知らせる大きな木製の魚形の開梆(かいぱん)がかかり、現在も使用されている。木魚の原型。
*聯:建物内外の柱などに左右一対でかけられる漢詩を書いた額。
関連リンク | 萬福寺(WEBサイト) |
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参考文献 |
萬福寺(WEBサイト) 「黄檗山萬福寺」萬福寺 |
2025年05月現在
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