浄瑠璃寺じょうるりじ

奈良市街の北東、京都府木津川市の当尾(とうの)の丘陵にあり、JR加茂駅からバスで約20分。
 寺名は薬師如来の東方浄土、浄瑠璃世界からきている。寺伝では1047(永承2)年、義明(ぎみょう)上人によって建立された西小田原寺が前身。1107(嘉祥2)年、浄土信仰の隆盛とともに本堂(阿弥陀堂)が、1150(久安6)年に浄土式庭園が造られ寺観が整えられた。 この寺は伽藍の配置に特色がある。古い寺院の金堂(本堂)や都の大極殿などは南面が原則であるが、平安時代中頃から京都を中心に、阿弥陀如来を東面に祀り、その前に池を造る形が出てくる。平等院鳳凰堂はその典型。浄瑠璃寺は、太陽が昇る東方にある浄土の教主・薬師如来を東に祀り、その太陽が沈んでいく西方にある浄土の教主・阿弥陀如来を西に祀り、その間に池を造る。春分・秋分の「彼岸の中日」には、九体仏の中尊、来迎印の阿弥陀仏の後方に沈んでいく。
 現在もゆるやかな汀を見せる庭園の宝池をはさんで、東に薬師仏を祀る三重塔、西に9体の阿弥陀仏を安置する本堂*が建つ。さらに池の北側には、秘仏大日如来像を祀り、通常は書院として利用されてきた南向きの灌頂堂がある。阿弥陀仏が9体並ぶため、本堂は横に長い九体阿弥陀堂形式となっている。これは1022(治安2)年、藤原道長が無量寿院(法成寺阿弥陀堂、今は廃寺)を建立して以来流行し、藤原時代には京都を中心に30棟余つくられたが、現存するのは浄瑠璃寺だけで、平安時代の浄土信仰を代表する本堂である。
 なぜ9体もの阿弥陀像があるのか。観無量寿経による阿弥陀如来の極楽浄土に往生するには9段階ある。すなわち上品・中品・下品の3品にそれぞれ上生・中生・下生の3等があり、このことを九品という。このため1体よりも9体の阿弥陀像を並べたほうが功徳があると思われた。9体とも桧の寄木造、漆箔を施す。最も大きい中尊は来迎印(らいごういん)を、8体は弥陀定印(みだじょういん)を結ぶ。造像年は1047(永承2)年と1107(嘉承2)年の2説があるが、仏像は定朝様*の温和な姿である。その他、左隅に国宝の四天王立像*が、中尊の横の厨子内には美しさで知られる秘仏の吉祥天女立像*が祀られている。また本堂に向かって右脇段には不動明王立像を安置。その脇侍は制多迦(せいたか)童子と矜羯羅(こんがら)童子で、矜羯羅童子のあどけない表情がかわいい。
 国宝の三重塔は、3間四方、桧皮葺、高さ16m。京都から移築されたものと伝わり、典型的な藤原時代和様建築。初重に藤原時代の薬師如来像を安置する。薬師如来像の拝観は、1月1~3日と8~10日・春秋の彼岸の中日・毎月8日、悪天候の場合を除き開扉する。
 史跡・特別名勝に指定されている池と庭園は、興福寺の僧であった伊豆僧正恵信が1150(久安6)年に入寺し、伽藍や坊舎を整備したときに始まる。1205(元久2)年、石を立てるなどしそれを補強。1975(昭和50)年、数百年ぶりと思われる大規模整備を行い洲浜等を復元。さらに2010(平成22)年に再整備をした。
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みどころ

市街地の喧騒からはなれ、周囲の緑に溶け込み、宝池を挟んで薬師如来を祀る三重塔と、9体の阿弥陀如来を安置するため横に長く甍の美しい本堂が向かい合って建つ。その姿は浄土の世界を思わせ、心を安らかにする静謐さが境内全体をおおっている。
 『古寺巡礼』の著者、和辻哲郎は、1818(大正7)年に訪れて、「自然と抱き合って、優しい小さな塔とお堂とがある。心を潤すやうな愛らしさが、すべての物の上に一面に漂ってゐる。」と述べている。
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補足情報

*本堂:正面11間と長く、側面4間、寄棟造、本瓦葺。1107(嘉祥2)年の建立という。正面は両端が上半連子窓のほかは板唐戸、内部は化粧屋根裏、組物も直線を生かすなど簡素な造りである。9体の阿弥陀像を安置する。
*定朝様(じょうちょうよう):すべてを柔らかな曲線と曲面でまとめ、彫りが浅く平行して流れる衣文、瞑想的でありながら微睡むような表情など、それまでの一木造特有の重みや物質感を廃した柔和で優美な造形が特徴。 こうした定朝の仏像は平安貴族の好みに合致し、「仏の本様(ほんよう)」と讃えられた。
*四天王立像:国宝。本堂の向かって左隅に増長天(ぞうちょうてん)・持国天(じこくてん)が立つ。忿怒(ふんぬ)形の多い四天王像のなかで、ここの像は穏やかな表情があり、身体の動きも少ない。藤原時代に流行した極彩色切金(きりがね)文様を施す。他2体のうち広目天像は東京国立博物館に、多聞天像は京都国立博物館に寄託されている。
*吉祥天女立像:重要文化財。高さ89cm。下ぶくれの頬と切長の目をもった濃艶な中国貴婦人の姿を写し、美と幸福をもたらす仏として知られる。寄木造で胡粉の上に衣服を極彩色で描き、宝冠・瓔珞(ようらく)などで美しく飾りたて、いかにも藤原風であるが、鎌倉時代、1212(建暦2)年の作。正月と春秋に公開。
関連リンク 木津川市観光商工課(WEBサイト)
参考文献 木津川市観光商工課(WEBサイト)
「浄瑠璃寺」小田原山浄瑠璃寺 2018

2025年05月現在

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