西芳寺(苔寺)さいほうじ(こけでら)

阪急嵐山線上桂駅から徒歩20分、京都駅から京都バス苔寺・すず虫寺行きに乗れば終点下車、徒歩3分、西芳寺川の畔に西芳寺は立つ。庭一面絨毯を敷きつめたような苔の美しさから一般に苔寺として名高い。創建については諸説ある。1400(応永7)年に記された『西芳寺縁起』では、創立は聖徳太子の別荘にさかのぼる。『夢窓国師年譜』では、天平年間(729~749)に行基が聖武天皇の勅願により創建した畿内49院のひとつ西方寺を草創とする。
 建久年間(1190~1199)には、のちに鎌倉幕府の評定衆をつとめた中原師員(もろかず)が再建して、本寺を西方・穢土の2寺に分け、法然を招請したと伝えられる。のち、兵乱で荒廃したが、1339(暦応2)年、松尾大社宮司藤原親秀が夢窓疎石*を招いて復興。疎石は浄土宗を臨済宗に改め、名も西芳寺に改称した。仏殿は「西来堂」と名付けられ、その西には、上層を無縫塔、下層を瑠璃殿と称する2層の舎利殿があった。この疎石が築いた黄金池に舎利殿の建つ浄土庭園の形式は鹿苑寺や慈照寺に伝えられている。疎石は、舎利殿の南に湘南亭*を、北に潭北軒(たんほくけん)を創建し、さらに池を拡張して山腹に指東庵をつくった。現在の建物は湘南亭を除き、本堂をはじめすべて明治以降の再建である。庭園はその後の兵火や洪水で荒廃し、近世ごろから苔におおわれはじめて現在のようになった。天下一名園と称された庭園の美は、隣国にまで聞こえ、日本の作庭界に大きな影響を与えた。
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みどころ

西芳寺の庭園は、本堂の東に広がる池泉回遊式庭園と、山腹の枯山水庭園の、上下2段構成となっている。庭園は100余種に及ぶ緑苔がおおい、木立によって幽邃な世界をつくりだしている。向上関をくぐり、石段を登ると疎石を祀る指東庵(しとうあん)が建ち、その東に枯山水の雄渾な石組がある。1339(暦応2)年作庭の日本最古の枯山水の石組で、当初から庭園そのものが禅の精神修養の道場とされたとの関連もあり、上段の庭は通常非公開である。
 足利義満は指東庵に滞在し、西芳寺の庭づくりを学んで鹿苑寺(金閣寺)造営に活かした。同様に、足利義政も西芳寺を何度も訪れ、慈照寺(銀閣寺)の庭園の手本とした。
 西芳寺の参拝は往復はがき、またはオンラインでの事前申込み制。詳しくは西芳寺のウェブサイトを参照。
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補足情報

*夢窓疎石:1275~1351。南北朝時代の禅僧。臨済宗の地位を高めるとともに、造園にもすぐれ西芳寺・天龍寺・鎌倉瑞泉寺・山梨恵林寺などに名園を残す。
*湘南亭(しょうなんてい):池の南岸。疎石の建てた湘南亭を千利休の次男少庵らが再興した、桃山時代の代表的な茶室である。中心になる4畳台目(だいめ)の茶室は明(あかり)障子のある書院床や点前畳の奥に床を設けて、亭主のための書院と茶室を兼ねており、茶室の前には池に面した土天井の露台(バルコニー)が付けられている。幕末には蟄居を命じられた岩倉具視が一時ここに隠棲した。
関連リンク 西芳寺(WEBサイト)
参考文献 西芳寺(WEBサイト)
「京都名庭を歩く」宮元健次 光文社新書

2025年05月現在

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