三十三間堂(蓮華王院)
京都駅から市バスで約10分、博物館三十三間堂前下車すぐ。東山地区の入口にあり、七条通を挟んで京都国立博物館と向かい合っている。本堂内陣の柱間が33あるので「三十三間堂」と呼ばれるが、正式名称は「蓮華王院」。本堂内に千体観音がずらりと立ち並ぶ光景は圧巻である。
1164(長寛2)年、後白河法皇の院御所の法住寺殿の一角に、法皇の勅願により平清盛が建立した。五重塔なども整備され寺観を誇ったが、1249(建長元)年の大火でほとんどを焼失。1266(文永3)年、後嵯峨上皇により本堂だけが再建された。これが現在の本堂で、堂内の諸仏の多くもこのときに再興されたもの。のちの桃山時代、豊臣秀吉が北隣に方広寺大仏殿を造営すると、三十三間堂もその山内に取り込んで厚く庇護した。豊臣家の滅亡後は方広寺とともに妙法院*が管理することとなり、現在も三十三間堂は妙法院が境外仏堂として管理、所有している。
1164(長寛2)年、後白河法皇の院御所の法住寺殿の一角に、法皇の勅願により平清盛が建立した。五重塔なども整備され寺観を誇ったが、1249(建長元)年の大火でほとんどを焼失。1266(文永3)年、後嵯峨上皇により本堂だけが再建された。これが現在の本堂で、堂内の諸仏の多くもこのときに再興されたもの。のちの桃山時代、豊臣秀吉が北隣に方広寺大仏殿を造営すると、三十三間堂もその山内に取り込んで厚く庇護した。豊臣家の滅亡後は方広寺とともに妙法院*が管理することとなり、現在も三十三間堂は妙法院が境外仏堂として管理、所有している。

みどころ
築地塀を廻らせ、東大門、南大門を構える。敷地は南北に細長い長方形で、その中心に国宝の本堂*が東面して立つ。南北約120mと長大な建物で、堂内の中央に中尊の千手観音坐像*を安置。その左右、前後10列の階段状の壇上に各500体の千手観音立像*が整然と並び、中尊背後にも1体の千手観音立像がある。千手観音の前列には二十八部衆像*が配され(うち4体は本尊周囲に安置)、左右端には風神・雷神像*を安置。そのすべてが国宝に指定されている。
本堂の東側には2021(令和3)年に整備された池泉回遊式庭園が広がっている。南大門*は桃山時代に方広寺の南門として造営されたもの。それに接する築地塀も同時期に造られた豊臣家ゆかりの遺構で、太閤塀*と呼ばれている。
行事では、歴史ある「通し矢*」に由来する弓道大会「大的(おおまと)大会」が知られる。毎年1月15日に近い日曜に行われ、晴れ着姿の新成人ら約2000人が参加。華やいだ光景は、京都の新春の風物詩となっている。この日は「楊枝(やなぎ)のお加持*(かじ)」も行われる。
本堂の東側には2021(令和3)年に整備された池泉回遊式庭園が広がっている。南大門*は桃山時代に方広寺の南門として造営されたもの。それに接する築地塀も同時期に造られた豊臣家ゆかりの遺構で、太閤塀*と呼ばれている。
行事では、歴史ある「通し矢*」に由来する弓道大会「大的(おおまと)大会」が知られる。毎年1月15日に近い日曜に行われ、晴れ着姿の新成人ら約2000人が参加。華やいだ光景は、京都の新春の風物詩となっている。この日は「楊枝(やなぎ)のお加持*(かじ)」も行われる。

補足情報
*妙法院:天台三門跡の一つ。三十三間堂から東へ徒歩約5分、東山七条にある。
*本堂:国宝。鎌倉期の和様建築。単層、入母屋造、本瓦葺。内陣(母屋)は正面33間、側面3間だが、周囲に1間分の庇(ひさし)の間が巡らされているので、正面35間、側面5間の建築である。33という数字は、観音菩薩は場合に応じて33の姿に変化して衆生を救うことに由来している。
*千手観音坐像:国宝。1254(建長6)年、大仏師湛慶(たんけい)の作。像高355cm。檜の寄木造で、水晶の玉眼を嵌め、漆箔を施す。円満な顔立ち、均整のとれた荘厳な姿である。
*千手観音立像:国宝。124体は創建時のもの、残りは室町期の1体を除いて鎌倉復興期の作。いずれも高さ166cm前後の木像で寄木造、漆箔を施す。顔立ちや衣文はひとつひとつ異なる。鎌倉期の約500体には作者銘があり、慶派、院派、円派の主要仏師が造像に参加したことがうかがえる。
*二十八部衆立像:国宝。鎌倉復興期の作。千手観音に従って仏教と、その信者を守るという二十八部衆を表した28体の彫像。像高154~170cm。いずれも寄木造の玉眼彩色像。
*風神・雷神像:国宝。鎌倉復興期の作。本堂内、仏像に向かって右端(北側)に安置される風神像は像高123cm、左端(南側)に安置する雷神像は像高105cm。
*南大門(なんだいもん):重要文化財。1600(慶長5)年の建造。3間1戸の雄大な八脚門。
*太閤塀:重要文化財。境内の南を限る豪壮な築地塀。高さ5.2m、長さ92m。
*通し矢:本堂西側の軒下の南端から120m先の北端の的に向けて矢を射通し、その本数を競ったもの。桃山時代には行われていたといい、江戸時代には京都の名物行事となった。最高記録は紀州の和佐大八郎という若武者。1686(貞享3)年4月、一昼夜で1万3,053本を放ち、8,133本を通したという。
*楊枝のお加持:後白河法皇ゆかりの三十三間堂の最重要の法要。観音に祈願した法水を参拝者に注いで無病息災を祈願するもので、とくに頭痛に効くと伝わる。
*本堂:国宝。鎌倉期の和様建築。単層、入母屋造、本瓦葺。内陣(母屋)は正面33間、側面3間だが、周囲に1間分の庇(ひさし)の間が巡らされているので、正面35間、側面5間の建築である。33という数字は、観音菩薩は場合に応じて33の姿に変化して衆生を救うことに由来している。
*千手観音坐像:国宝。1254(建長6)年、大仏師湛慶(たんけい)の作。像高355cm。檜の寄木造で、水晶の玉眼を嵌め、漆箔を施す。円満な顔立ち、均整のとれた荘厳な姿である。
*千手観音立像:国宝。124体は創建時のもの、残りは室町期の1体を除いて鎌倉復興期の作。いずれも高さ166cm前後の木像で寄木造、漆箔を施す。顔立ちや衣文はひとつひとつ異なる。鎌倉期の約500体には作者銘があり、慶派、院派、円派の主要仏師が造像に参加したことがうかがえる。
*二十八部衆立像:国宝。鎌倉復興期の作。千手観音に従って仏教と、その信者を守るという二十八部衆を表した28体の彫像。像高154~170cm。いずれも寄木造の玉眼彩色像。
*風神・雷神像:国宝。鎌倉復興期の作。本堂内、仏像に向かって右端(北側)に安置される風神像は像高123cm、左端(南側)に安置する雷神像は像高105cm。
*南大門(なんだいもん):重要文化財。1600(慶長5)年の建造。3間1戸の雄大な八脚門。
*太閤塀:重要文化財。境内の南を限る豪壮な築地塀。高さ5.2m、長さ92m。
*通し矢:本堂西側の軒下の南端から120m先の北端の的に向けて矢を射通し、その本数を競ったもの。桃山時代には行われていたといい、江戸時代には京都の名物行事となった。最高記録は紀州の和佐大八郎という若武者。1686(貞享3)年4月、一昼夜で1万3,053本を放ち、8,133本を通したという。
*楊枝のお加持:後白河法皇ゆかりの三十三間堂の最重要の法要。観音に祈願した法水を参拝者に注いで無病息災を祈願するもので、とくに頭痛に効くと伝わる。
関連リンク | 蓮華王院 三十三間堂(WEBサイト) |
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参考文献 |
蓮華王院 三十三間堂(WEBサイト) 「京都府の歴史散歩 中」山川出版社 「三十三間堂」妙法院教学部 |
2025年05月現在
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