雲興寺
名鉄瀬戸線尾張瀬戸駅から赤津行バスで赤津下車。1384 (至徳元)年、天鷹祖祐によって開創される。応永年間(1394 ~1427年)には、足利義持や地元赤津村の豪族山口氏らの寄進によって七堂伽藍が落成した。そののちも、織田信長や信雄らの保護を受け、江戸時代には幕府より、三河国本徳村(現豊田市)に寺領を与えられたという尾張の曹洞宗を代表する寺院である。
境内にある鐘楼は2階建ての建物で、1810(文化7)年に建てられた江戸時代後期の鐘楼として、2005(平成17)年に国の登録有形文化財となった。鐘は2階に吊るされていたが、第2次大戦で供出されて長い間不在となっていた。鐘楼の保全修理にあわせて2009(平成21)年に新たに鋳造された。
参道から本堂周辺まで、モミジに埋め尽くされており、紅葉の名所になっている。また寺院は、盗難除けの寺として知られており、盗難除けのお札を求めに訪れる人が多い。
境内にある鐘楼は2階建ての建物で、1810(文化7)年に建てられた江戸時代後期の鐘楼として、2005(平成17)年に国の登録有形文化財となった。鐘は2階に吊るされていたが、第2次大戦で供出されて長い間不在となっていた。鐘楼の保全修理にあわせて2009(平成21)年に新たに鋳造された。
参道から本堂周辺まで、モミジに埋め尽くされており、紅葉の名所になっている。また寺院は、盗難除けの寺として知られており、盗難除けのお札を求めに訪れる人が多い。

みどころ
入り口に、「盗難除・・・」と大きな碑があるように、盗難除けの寺院としてしられ、多くの人が訪れる。本堂をはじめ諸堂の瓦、本堂外陣の敷物・灯籠や鐘楼の屋根瓦が、一見すると黒瓦でないので違和感をもつが、赤味を帯びた瓦屋根は、地元の赤津焼で焼かれており、じっくり観察すると美しい光沢を放っている。参道の幅は両サイドからのモミジが覆うのにちょうどよいし、本堂へのいくつかある階段も緩やかで、本堂に向かって美しい設計になっている。
関連リンク | 瀬戸市(WEBサイト) |
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参考文献 |
瀬戸市(WEBサイト) 愛知県瀬戸市(瀬戸市歴史文化基本構想を活用した観光拠点形成のための協議会)(WEBサイト) 『愛知県の歴史散歩 上』愛知県高等学校郷土史研究会=編 山川出版社 |
2024年03月現在
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