瀬戸市は県北西部にある。東から南は豊田市、南は長久手市、西は尾張旭市、名古屋市、春日井市、北は岐阜県の多治見市、土岐市に接する。
 名古屋市と名古屋鉄道瀬戸線で結ばれる。西部を愛知環状鉄道、東部を東海環状自動車道が縦貫し、せと品野、せと赤津の二つのインターチェンジがある。ほかに国道155号、248号、363号が走る。
 山地、丘陵地、平地から成り立つが大部分が標高 100m~200mの低位丘陵地帯で占められ、平地部分が極めて少ない。市の北部から東部にかけては市域面積の約6割を占める山地で、木曽山脈の最南西端となる三国山や猿投山が連なる。市の中央部から西部、南部へ丘陵地帯が続いて尾張丘陵の一部となっており、これらの丘陵部から水野川、瀬戸川、矢田川が流れ、それらの流域に沿って狭い幅の平地が広がる。 良質の陶土や珪砂を含んでいる瀬戸層群があり、特に木節粘土と蛙目粘土が良質の陶土として焼きものの資源となっている。
 1929年(昭和4)市制施行。1951年(昭和26)1村、1955年(昭和30)1村、1959年品(昭和34)1町を編入。やきものの原料となる良質の陶土等を豊富に含んだ地層(瀬戸層群)があり、1300 年と言われる歴史を持つ陶磁器産業で発展。鎌倉時代に中国宋の窯業技術を学んだ加藤四郎左衛門景正(通称加藤藤四郎)が瀬戸層群に着目して祖母懐で開窯したのが始まりと伝えられ、藤四郎窯と称する古窯が現在も広く分布する。江戸中期には九州の磁器に押されて市場が狭まったため、陶器は「ろくろ一挺一代限り」といわれる一子相続の世襲制となった。磁器は、瀬戸生まれの加藤民吉が、1807年(文化4)に九州有田(肥前磁器)の技法を導入してから急速に発達。民吉を祭神とする窯神神社がある。明治以後は陶磁器製造は自由化、需要の増大、輸出の拡大によって飛躍的に発展。昭和初期には現在の名古屋鉄道尾張瀬戸駅周辺地域に官公庁施設が集積し、深川神社周辺には飲食店や娯楽施設が並び、やきものの生産に携わる多くの職人が暮らす華やかなまちとして賑わいをみせ、「尾張の小江戸」と呼ばれた。
 陶磁器の産地。製法、製品も時代とともに進歩している。現在、生産額では全国有数を誇り、県下の約70%を占める窯業都市である。製品は玩具や置物、和洋食器、電気用器具、ファインセラミックスなど、多種にわたる。
 愛知県陶磁美術館(2013年に愛知県陶磁資料館から名称変更)、瀬戸蔵ミュージアム、瀬戸市新世紀工芸館等、陶磁器関係の施設がある。国指定史跡に小長曽陶器窯跡、定光寺の本堂と尾張藩祖徳川義直の霊廟は国指定重要文化財。この他、観光地に岩屋堂公園や岩屋堂温泉などがある。9月第2土・日曜の「せともの祭」は県内外の訪客でにぎわう。

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