名古屋市官庁街の歴史的建造物群なごやしかんちょうがいのれきしてきけんぞうぶつぐん

名古屋は、1942(昭和17)年4月18日に米軍からの空襲を受けたのに始まり、しばらく空いて1944(昭和19)年12月13日にも空襲があった。しかし、1945(昭和20)年に入ると、立て続けに市街地中心の大空襲があり、名古屋城や名古屋駅が炎上した。市街地の由緒ある建造物や街並みが破壊された。そうした中で、行政の中心施設である市役所と県庁の建物が残った。地下鉄名城線名古屋城駅3番出口を出たところに、和洋折衷の外観の建物が荘重さを競うかのように2棟並んでいる。北側が名古屋市役所本庁舎*で、その隣が愛知県庁舎*である。ともに昭和天皇即位の記念事業として建てられたもので、2014(平成26)年に国の重要文化財に指定された。
 市役所・県庁から約300m東へ行くと、市政資料館*がある。戦前は名古屋控訴院・地方裁判所・区裁判所として使用された。レンガ壁の重厚な建物で、これも国の重要文化財である。
 県庁から南下し大津橋を渡ったところに、1933(昭和8)年建築の愛知県庁大津橋分室がある。戦前、愛知県信用組合連合会、戦後は社団法人愛知県農林会館として使用されていて、1957(昭和32)年、愛知県に寄贈され、県庁の分室として使用されている。正面には意匠のある3本の階段塔、1階外壁には石張りとテラコッタ、2階以上にはスクラッチタイルと、階層で特徴が異なる。隣に並んで伊勢久株式会社の建物がある。1930(昭和5)年に竣工、この時期に流行したスパニッシュ様式を採用した。現在も、社の本社機能として使用されている。
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みどころ

両庁舎がタイルを使用しているのは、愛知県が全国有数の陶磁器どころであることをアピールしたもの。両庁舎が建設された昭和初期には、国威発揚のために日本の伝統を建築にも反映させようという風潮が高まっていた。洋風の本体に瓦屋根をのせた、日本趣味を基調とした近世式*の建物が各地にたてられたが、両庁舎はその典型的な例である。
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補足情報

*名古屋市役所本庁舎:外観設計は公募で選ばれたもので、一部修正して1931(昭和6)年に着工された。この年に満州事変が勃発したため、不測の事態に備えて高射砲が設置できるように屋上の一部を補強したといわれる。建物は鉄骨鉄筋コンクリート造り、外壁は茶褐色のタイル張りである。高さ53.5mの時計塔の上部に和風の2重屋根をのせ、最上部に四方にらみのシャチがおかれている。内部の意匠は名古屋城本丸御殿をイメージして設計され、木製部分にはチーク材が使用された。
*愛知県庁舎:1938(昭和13)年に建設された。鉄骨鉄筋コンクリートの近代建築のうえに、城郭風の屋根をのせた特徴あるデザインである。外壁は市庁舎と同様に種類の異なるタイル張りによる三層構成を採用している。三方の中央には名古屋城大天守を思わせる破風付きの入母屋屋根を載せている。西洋的な様式と城郭天守の意匠を融合させて地域色を現わし、昭和初期の建築課題となっていた「日本趣味」の表現を達しており秀逸の意匠と高い歴史的価値を有している。
*市政資料館:旧名古屋控訴院・地方裁判所・区裁判所庁舎(現名古屋市市政資料館)。この建物は当時、別々の場所におかれていた各裁判所の合同庁舎として1922(大正11)年に建てられた。全国8か所に設置された控訴院のうち現存する最古の庁舎である。レンガおよび鉄筋コンクリート造りの3階建てで、ドームをいただく塔屋と大きく前方に突きだした車寄せにより、正面中央が強調されている。白い花崗岩と赤レンガ壁の色調の対比をみせるうつくしい控訴院建築で、19世紀後半から20世紀初期にかけて欧米で流行したネオ・バロック様式の特徴をよく示している。第二次大戦後は名古屋高等裁判所および地方裁判所として使用されていたが、1979(昭和54)年の新庁舎への移転に伴い、近代化遺産として保存されることになった。1984(昭和59)年に国の重要文化財にされた。1989(平成元)年、建物の保存・復原修理の工事を行い、名古屋市市政資料館として生まれ変わった。
*日本趣味を基調とした近世式:鉄骨鉄筋コンクリート造の洋風建築に和風の屋根を載せた独特なデザインの建物。昭和初期に進められ、現存する東京国立博物館本館や神奈川県庁舎などは「帝冠様式」とも呼ばれる。
関連リンク 名古屋市(WEBサイト)
参考文献 名古屋市(WEBサイト)
名古屋市(WEBサイト)
愛知県(WEBサイト)
『名古屋市市政資料館』パンフレット
『愛知県の歴史散歩 上』愛知県高等学校郷土史研究会=編 山川出版社

2024年06月現在

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