定光寺じょうこうじ

瀬戸市街の北部、JR中央本線定光寺(じょうこうじ)駅から渓流沿いのやや急な坂道を1kmほどのぼり切ったあたりの駐車場の向かいに石造りの直入橋がある。2代藩主徳川光友が作らせたもの。
 その橋を渡ると杉林が一帯をおおい、段差はさほどなく、多くの参詣者に長い間踏まれた痕跡のある165段の石段が境内へと導く。山門をくぐると、正面に無為殿と名付けられた本堂*(重文)、そして開山堂、鐘楼、経蔵が立ち並ぶ。
 覚源禅師によって1336(建武3)年に開かれ、中世には45もの塔頭をもつ有力寺院であった。戦国時代には織田信長・信雄父子の保護を受けていたが、太閤検地で多くの寺領を失ったことで寺勢はすっかり衰えた。再興のきっかけは、初代尾張藩主徳川義直の廟所となったことである。義直がしばしばこの付近に狩りにきていて、寺からの眺めが気に入って、みずからの廟所と定めたといわれる。このことから歴代藩主が参詣するなど、寺の格式は高まり、江戸時代初め10石しかなかった寺領が310石に加増された。
 7棟からなる源敬公(義直のおくり名)廟所*(重文)は本堂からさらに奥にある。定光寺は紅葉の名所としても知られる。
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みどころ

臨済宗の巨刹としての風格を感じさせる寺である。源敬公の廟所は本堂のさらに石段を歩んだ奥にあり、見ごたえがある。モミジが寺を埋め尽くし、新緑と紅葉の時期に、多くの人が訪れる。
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補足情報

*本堂:三間四方、屋根は一重裳階(もこし)付きで柿葺。入母屋造。1493(明応2)年の再建で1534(天文3)年に修理再興した。全体は唐様仏殿の手法である。
*源敬公(げんけいこう)廟所:本堂東側の山上にある。長い参道を折り曲がりながら進むと、織部(おりべ)の陶板をはめ込んだ築地塀に囲まれ、左甚五郎作といわれる竜の門が立つ。その奥には焼香殿、傍らに宝殿、一隅に殉死者と陪臣殉死者の石標が9基ある。一段高い壇上には、正面に唐門を配し、周囲を塀で囲い、藩祖義直の石標が立つ。1650(慶安3)年に明の帰化人陳元贇(ちんげんぴん)の設計による中国の儒教様式を取り入れた珍しい構造である。竜の門・焼香殿・唐門・宝蔵・築地塀とも銅板葺きで、焼香殿の床は瀬戸焼の敷瓦(施釉タイル)が用いられている。
関連リンク 瀬戸市(WEBサイト)
参考文献 瀬戸市(WEBサイト)
文化財ナビ愛知(WEBサイト)
『愛知県の歴史散歩 上』愛知県高等学校郷土史研究会=編 山川出版社

2024年03月現在

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