大谷崩おおやくずれ

静岡市の最北、山梨県境にあるのが標高1,999.7mの大谷嶺(おおやれい)。この山の南斜面には山体崩壊で形成された大谷崩れ(おおやくずれ)があり、日本三大崩れ*1のひとつといわれる。
 山体崩壊のあった北側尾根上には線状凹地*2が発達し、緩やかな稜線を作っている。この山体崩壊は宝永地震*3(1707年)によってできたと記録されており、大谷嶺から800m崩れ落ちたという。崩壊した土砂は大谷川を流下して安倍川本流に達し、大谷川下流および安倍川に堆積段丘を形成するほどだったという。現在の大谷崩れの基部付近には、多数の砂防堰堤が建設されている。
 アクセスは静岡市内の中心地静岡駅から約45km、梅ヶ島温泉の手前で県道から分かれ、安倍川支流の大谷川沿いに付けられた林道を登り詰めると駐車場があり、林道はさらに続くが一般車はここまで。駐車場から徒歩で少し登ると、大谷崩れの全容が観察できる展望場があり、大谷嶺への登山口は展望場のすぐ先にある。登山道は落石もあり、滑りやすいところもあるので注意が必要だ。
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みどころ

大谷嶺は、静岡市内から日帰りで登山ができ、大谷崩れを眼下に南アルプスなどを眺望することもできるが、この山のみどころはやはり大谷崩れであろう。作家の幸田文が梅ヶ島温泉に楓の純林の新緑を見に来た際、この大谷崩れをみて大きな衝撃をうけた。その時のことを「南を開放部にして、弧状一連につらなる山並のうちの、大谷嶺(標高約2,000m)の山頂すぐ下のあたりから壊(つい)えて、崩れて、山腹から山麓へかけて、斜面いちめんの大面積に崩壊土砂がなだれ落ち、いま私の立っているところもむろんその過去いつの日かの、流出土砂の末なのである」と崩れ落ちている様を描写している。
 そのうえで「あの山肌からきた愁いと淋しさは、忘れようとして忘れられず…中略…この崩れこの荒れは、いつかわが山河になっている。わが、というのは私のという心でもあり、いつのまにかわが棲む国土といった思いにもつなが」り、それが「崩れ」というエッセイを執筆する動機となったとしている。
 幸田文が受けた衝撃の大きさは、この崩れを目の当たりにすると、十二分に理解できる。大谷崩れ展望場近くの駐車場には幸田文の文学碑がある。
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補足情報

*1 三大崩れ:大谷崩れと長野県の稗田山崩れ、富山県の鳶山崩れといわれている。
*2 線状凹地:山地の稜線部が山腹斜面の浸食などによって不安定となり、小規模な正断層を伴いながら造られた線状の凹地。                                                                                       *3 宝永地震:1707(宝永4)年10月28日、旧暦の10月4日、遠州灘から四国の沖合を震源地として発生した。マグニチュード8.6といわれている。