摩訶耶寺まかやじ

天竜浜名湖鉄道三ケ日駅の北約2kmにある。摩訶耶寺の前身*1は、古くは山岳信仰に結びついた真言密教の道場として、愛知県との県境近くの富幕山に開創された新達寺といわれ、平安時代に、現在地近くの千頭ヶ峯の観音岩と呼ばれる場所に移り、寺号を真萱寺と称していた。
 平安時代末期に一条天皇の勅願により現在地へと移り、摩訶耶寺の号を賜ったとされる。その後、南北朝期に南朝方につき寺運が衰えたが、室町、戦国時代に入ると、浜名、今川*2、徳川各氏などからの庇護を受け、寺勢を建て直した。江戸期*3においても朱印領70石、除地5石を幕府から与えられ保護されていた。
 本尊の秘仏の聖観音像は、古くから厄除観音として信仰を集めている。庭園は境内左手にあり、1968(昭和43)年の学術調査の結果、鎌倉時代前期の作庭で、当時の原型をほぼ完全にとどめる静岡県最古の庭であることが判明した。池泉観賞・回遊式蓬莱庭園で、特に護岸石組と中島の鶴石組は傑作とされている。宗派は真言宗。
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みどころ

大正時代に発行された「引佐郡誌 西濱名村誌」には、「境内甚だ廣く出龜の池あり飛瀑あり堂宇數個ありて亦見るべきものあり 殊に山門は古色に己の古刹を示す」としているが、何と言ってもみどころは庭園。仙人の住む蓬莱の仙境がイメージされているといわれ、巧みな石組みと池のレイアウトが周囲の緑と調和しており、優美な平安時代の様式をとどめながら力強い鎌倉時代の様式を取り入れている。
 また、「西濱名村誌」にある「山門」はコの字型に屋根が設えられた「高麗門」のことで、浜名湖畔の野地城の城門を1680(延宝8)年の廃城とともに移築したものと伝えられている。
 隣接する宝物殿では、国指定の重要文化財の平安期作といわれる不動明王像と千手観音像、県指定の重要文化財の阿弥陀如来像の三尊を拝観できる。
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補足情報

*1 摩訶耶寺の前身:江戸中期の「遠江国風土記伝」では「寺記曰聖武天皇天平十八(746)年孟夏、行基菩薩之草創、始在止牟麻久(富幕)山、謂眞葮堂、後移于神戸郷(現地周辺の郷名)、用摩訶耶字」と、行基が開創だと寺伝の縁起を紹介している。
*2 今川:今川義元から天正17年12月に「摩訶耶寺ニ検地增分ヲ寄進シ、同寺領ヲ守護不入ト為ス」(摩訶耶寺文書)と寺領が安堵されている。
*3 江戸期:1573(元亀4)年に武田信玄軍による兵火により堂宇の多くを焼失。江戸時代になり、引佐郡などに知行地を持っていた旗本近藤用行の力添えにより、1632(寛永9)年に現在の位置に本堂を再建している。