小國神社おくにじんじゃ

天竜浜名湖鉄道遠江一宮駅から北へ4km、森町の西南部、宮川を遡った比較的開けた谷あいにある。『延喜式』にその名はあり、遠江国一宮である。創祀*1は不詳だが、1680(延宝8)年の社記によれば、555(欽明天皇16)年に、現在の本殿より6kmほど北にある本宮峯(本宮山)*2に神霊を奉斎し、後に勅命により現在地に社殿が造営されたとしている。701(大宝元)年には勅使奉幣の際、十二段の舞楽*3が奉奏された。以後、年々神階が昇格したことが様々な歴史書に記録されている。(続日本後記・日本三大実録)
 中世においては天皇家や武将など多くの崇敬を集めたが、1572(元亀3)年に甲斐武田家と徳川家の戦いに巻き込まれ社殿を焼失。1575(天正3)年に徳川家康によって再建された。明治に入り再び焼失し、現在の社殿は1886(明治19)年に再建された総檜皮葺の大社造りである。祭神は大己貴命(だいこく様)。年中行事としては、正月の「田遊び」神事、4月の例祭(舞楽奉納)などがある。
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みどころ

境内は本宮山のこんもりとした森が広がる山懐にあり、参道も両側にスギやヒノキの巨木が立ち並び、社殿はその緑を背にどっしりとした大社造りで荘厳だ。東海地方でも指おりの紅葉・青もみじの名所で癒しのご神域に多くの人々が訪れる。また、ご神域を清らかに流れる宮川に沿ってそぞろ歩きをするだけでも、この神社の長い歴史を感じ取れるような気がしてくる。
 参道入口脇には菖蒲園があり、ご神域の森を背景にして80種8万本の花菖蒲が、早生・中・晩生と5月下旬から6月中旬にかけて咲き競い、新緑とあいまって趣きのある景観をつくる。
 参拝のあと、地理学者志賀重昂に「遠州の小京都」といわしめた森町の町並み*4をのんびり散策してみるのもよい。
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補足情報

*1 創祀:森町の中心部を流れる太田川(宮川)の水源霊山として、本宮山は古くから信仰されていたともいわれる。
*2 本宮峯(本宮山):現在、本宮山の山頂には同社の奥宮が鎮座する。なお、江戸中期の『遠江国風土記伝』では、神霊の奉斎の年を557(欽明天皇18)年という説も掲載しているが、現在では否定されている。
*3 舞楽:例年4月18日に近い土曜日、日曜日の両日、境内にある舞殿で舞われる。舞楽は12曲からなり、子供が舞う「稚児舞い」として「連舞」「蝶の舞」「鳥の舞」「しんまっく舞」「抜頭舞」と「太平楽舞」の6曲を務め、大人が舞う大舞(ふとまい)は「色香舞」「安摩舞」「二の舞」「陵王舞」「納蘇利舞」「獅子舞」の6曲が奉仕される。番外曲として「花の舞」もある。舞楽がこの地方に伝播した際に、稚児による舞楽が加えられたり、都の舞楽とは違った演出、演技、演奏法が継承され、独特の芸態を有している。
*4 森町の町並み:明治から昭和にかけて活躍した地理学者志賀重昂は1922(大正12)年に森町を訪れた際、「峯巒三繞接平蕪 一帯夾河分巷衢 隔水絃歌声断続 依稀風物小京都」(三方を山の峰々に囲まれ平野に接する その一帯には河が流れ街並みを分ける 川の流れを隔て絃や歌声が時々とぎれながら続く このような風物は稀で、まさに小京都だ)と七言絶句を詠んだ。現在も小國神社など由緒ある神社仏閣や中心部の町並みにその面影を残している。