藤守の田遊びふじもりのたあそび

JR東海道本線藤枝駅から南東に約7kmのところにある、大井八幡宮で例年3月17日に行われる民俗芸能。大井八幡宮*1は、延暦年間(782~806年)の創祀当初は川除と平安豊饒の祈願所だったといわれ、985(寛和元)年には山王権現の大井川宮として社殿も建立された。その後、大井川の川筋の変化もあり、1205(元久2)年に社殿が再建され、同時に大井川宮の摂社であった八幡宮を本社とすることにして「川除八幡宮」と改称し、藤守地区の氏神として崇敬された。
 「田遊び」*2の神事は社殿建立の寛和年間(985~987年)には行われていたとみられるが、1205(元久2)年以降足利氏から神領も寄進され神事祭礼も整い、16世紀後半には現在の形式になったといわれている。また、天正年間(1573~1592年)には徳川家康による大井川渡河のための減水祈願に、霊験があらたかだったことから「大井八幡宮」の尊号を与えられたいう。
 「田遊び」は新春にその年の豊作を願い、田の耕作から刈り上げまでの農作業を模擬的に演じてみせるもので、全国各地でもみられる。大井八幡宮では、「田遊び」を行う祈年祭は、かつては旧暦の 1月17日や新暦の2月17 日に行われていたが、1961(昭和36)年からは3月17日に行われるようなった。3月10日から様々な神事*3を執り行い、3月17日の祈年祭では、社殿前の舞台において「田遊び奉納」が行われる。
 「田遊び奉納」は笛や太鼓に合わせ舞能と詞章を唱え、豊作を祈るとともに神の心を和らぎ慰めるため、「振取」「山田」「間田楽」「猿田楽」など演目25番と番外に「天狗」「鯛釣」が演じられる。
 農作業の所作を表す田楽*4の奉納は、氏子の未婚の男性が行う。
#

みどころ

「田遊び」は全国各地でみられるが、「藤守の田遊び」は原形を正しく受け継いでいるものとして高く評価されている。いずれの演目も氏子の少年や青年が色彩豊かな衣装を身に着け、華やかに舞うが、20番「間田楽」と21番「猿田楽」で舞は最高潮に達する。「猿田楽」で被る「万燈花のショッコ」は花が満開になる様を表しており、ひと際華やかである。
 舞手は氏子の未婚の青年というのが条件であるため、少子高齢化のなかで後継者不足になっている。このため保存会が焼津市の支援のもと「伝承館」を設置し、伝統継承に努めている。
#

補足情報

*1 大井八幡宮:祭神は八幡神である誉田別命と農業神、治水の神大山咋神。
*2 田遊び:折口信夫によれば、「田に関する演藝が、略三種類ある。第一は、田遊びである。此行事は、餘程、古くから行はれたものと思ふ。次は田儛ひで、此も、奈良朝以前既にあつた。第三は、平安朝の末に見え出して、鎌倉に栄え、室町に復活した、田楽である。田遊びは又、春田打ちとも言ふ。所によつては、此を暮れに行ふ事もあるが、多くは正月に行ふので、現在でも、新舊の正月に此を行ふ地方が、まだ方々にある。・・・中略・・・平安朝の末頃から、田遊びと田楽とが、並行して行はれて居る」とし、田楽は田遊びの演芸化されたものだとしている。田遊びの意味については、「田遊びのあそぶは、古い用語例では、鎮魂を行ふ為の舞踊を言うたのだが、其後、意味が段々変つて、主としては、楽器を用ゐるものに就いて言ふ様になり、後には、野山に狩りをする事をまで、此語で言ふ様になつたが、元来は、鎮魂の為の舞踊を意味した語で、田遊びとは、とりも直さず、田の鎮魂術を行ふ事だつた」と解釈している。鎮魂の方法としては「春の初めに、其年の一年中の田の出來榮えを見せて置く。此が、此行事の起りである。其出來榮えは、誰が見せたか。神ー遠來の神ーであつたとも、其神の命令に從ふ土地の神であつたとも、或は、さうした遠來の神の命令があるので、爲方なしに土地の精靈が、誓約のしるしに、此を行うて見せたのだ」とも考察している。 
*3 様々な神事:「帳付の式」、「水祝」、「御供納」、それに加えて内的式、外的式と呼ぶ神人饗宴の作法など。                                                                               *4 田楽:演目は全部で25番、番外2番あるが、主なものを紹介すると、第2番の「振取(ふっとり)」はもっとも重要な演舞で、御獅子(牛)を祭神の身代わりと考え、祭神を内陣より迎える意を表す。第9番の「山田(やまだ)」では舞台の中央に田を擬した台を置き、鍬を順に打ちながら詞章を唱える。第10番 の「徳太夫(とくだゆう)」では、造花の万燈花を飾るショッコを頭に載せた徳太夫が、山田打ちの労をねぎらう酒をふるまう。第16番「早乙女(そうとめ)」は、5歳の子供が舞台にあがり、氏子入りする儀式を行う「藤守の田遊び」の独特のもの。第20番「間田楽(までんがく)」では、青年8人が頭に田の字を擬した造花を冠り、稲の成長の様子を舞い、第21番「猿田楽(さるでんがく)」では紅白の万燈花で飾ったショッコをかぶった青年8人が、勇ましく舞い跳ね、豊作を予告する。