丸子のとろろ汁
丸子の宿はJR東海道本線・東海道新幹線静岡駅の西南7km、国道1号に沿った地域で東海道五十三次の宿駅があったところ。鞠子とも書いた。とろろ汁の丸子として古くから*1知られ、『東海道中膝栗毛』*2の中では弥次さん、喜多さんが立ち寄り、歌川広重は『東海道五十三次』の画題として取り上げ、芭蕉の句*3にも詠み込まれている。
これらの舞台となった「丁子屋(ちょうじや)」は、1596(慶長元)年に茶屋として開業。江戸期に入ると、とろろ汁店が十数軒つらなり東海道の「名物とろろ汁」と言われるようになった。今も国道から脇にそれた旧東海道沿いの丸子橋のたもとにある。この店のとろろ汁は静岡県産の自然薯を焼津産のかつお出汁で引いた白みそ汁でのばして麦飯にかけるのが特徴。また、店には歴史資料館もあり、江戸時代の旅に関する資料が展示され、店の前には芭蕉の句碑や十返舎一九の碑も立っている。
これらの舞台となった「丁子屋(ちょうじや)」は、1596(慶長元)年に茶屋として開業。江戸期に入ると、とろろ汁店が十数軒つらなり東海道の「名物とろろ汁」と言われるようになった。今も国道から脇にそれた旧東海道沿いの丸子橋のたもとにある。この店のとろろ汁は静岡県産の自然薯を焼津産のかつお出汁で引いた白みそ汁でのばして麦飯にかけるのが特徴。また、店には歴史資料館もあり、江戸時代の旅に関する資料が展示され、店の前には芭蕉の句碑や十返舎一九の碑も立っている。
みどころ
「丁子屋」の現在の店は1970(昭和45)年に近くの集落から移築した古民家ではあるものの、歌川広重が『東海道五十三次』に描いた当時のままの趣きがある外観で、江戸時代にタイムスリップしたような気にさせてくれる。
白みそ汁でのばしたとろろを麦飯にかけて食べるが、喉ごしが良く、つい食べ過ぎてしまう。自然薯の赤ちゃんである「むかご」の唐揚げ おかべ揚げ、揚げとろ、切りとろなど自然薯の一品料理も豊富。
なお、とろろ汁は静岡県内の料亭や食事処でもそれぞれの工夫をして提供しているところも多い。
白みそ汁でのばしたとろろを麦飯にかけて食べるが、喉ごしが良く、つい食べ過ぎてしまう。自然薯の赤ちゃんである「むかご」の唐揚げ おかべ揚げ、揚げとろ、切りとろなど自然薯の一品料理も豊富。
なお、とろろ汁は静岡県内の料亭や食事処でもそれぞれの工夫をして提供しているところも多い。
補足情報
*1 古くから:江戸後期の『駿国雑志』でも「薯蕷汁」(とろろじる)について「製温にして味軽佳也。又山藥をも賣れり。當所とろろいも産する事風土記にあり。最古き名産成るべし」と記している。
*2 『東海道中膝栗毛』:十返舎一九の作。このなかで、弥次さん、喜多さんは、店の亭主と女房のけんかに巻き込まれ、とろろ汁だらけになる始末。「けんくはする夫婦は口をとがらして鳶(とんび)とろろにすべりこそすれ」(喧嘩する夫婦は鳶のように、口をとがらせて、とろろ汁にすべってころんだ)と狂歌を詠んで、這う這うの体で、宇津ノ谷峠越えに向かう。
*3 芭蕉の句:「梅若菜まりこの宿のとろろ汁」(『猿蓑集』) 奥の細道の旅が終わり、上方にいた芭蕉が門人乙州の江戸への出立に際しての餞別の句。
*2 『東海道中膝栗毛』:十返舎一九の作。このなかで、弥次さん、喜多さんは、店の亭主と女房のけんかに巻き込まれ、とろろ汁だらけになる始末。「けんくはする夫婦は口をとがらして鳶(とんび)とろろにすべりこそすれ」(喧嘩する夫婦は鳶のように、口をとがらせて、とろろ汁にすべってころんだ)と狂歌を詠んで、這う這うの体で、宇津ノ谷峠越えに向かう。
*3 芭蕉の句:「梅若菜まりこの宿のとろろ汁」(『猿蓑集』) 奥の細道の旅が終わり、上方にいた芭蕉が門人乙州の江戸への出立に際しての餞別の句。
関連リンク | 元祖丁子屋(WEBサイト) |
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参考文献 |
元祖丁子屋(WEBサイト) 駿府 静岡市(公益財団法人 するが企画観光局)(WEBサイト) 『芭蕉翁全集 (俳諧叢書 ; 第7冊)』佐々醒雪, 巌谷小波 校 博文館 国立国会図書館デジタルコレクション 『駿国雑志 2冊』阿部正信 編 吉見書店 国立国会図書館デジタルコレクション 『東海道中膝栗毛』十返舎、一九作 麻生、磯次校注 岩波文庫 |
2023年10月現在
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