三保松原みほのまつばら

JR東海道本線清水駅から南へ約6kmの駒越を基点に、東北方向へ約5kmに及ぶ砂嘴*1が駿河湾に突出している。この砂嘴の内側には清水港を抱え、駿河湾に面した外側に白砂と松の緑が連なる浜があり、これが三保松原である。
 松原の東北端の鎌ガ崎付近は海越しの富士山の眺望がよく、『万葉集』以来の歌枕*2として親しまれ、江戸時代には浮世絵*3の題材ともなった。松原のなかには、「羽衣伝説」*4で名高い羽衣の松があり、付近には、三保燈台・御穂神社*5などもある。                       
 三保内浜や三保真崎では海水浴場を楽しめる。
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みどころ

駿河湾越しに望む富士山と白砂青松の浜との組み合わせは、出来過ぎとは言え、やはり美しい。この浜の砂は灰色が勝っているが、景観に良く溶け込んでいる。
 世界文化遺産の認定要素である「羽衣伝説」や、和歌、俳句、浮世絵などの歴史的・文化的背景について、所々に配置されている説明板や歌碑を読みながら散策を楽しむのも一興だ。
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補足情報

*1 砂嘴(さし):海流が運ぶ土砂によって湾口に造られる細長い堤状の砂地。三保の場合は有度山の山麓が海食作用により削られ、その土砂を海流が北西に運び堆積して形成された。
*2 歌枕:『万葉集』では「蘆原の清見の崎の三保の浦の寛(ゆた)けき見つつ物思いもなし」(田口益人)、『続古今和歌集』には「忘れめや山路打出て清見潟はるかに三保の浦の松原」(中務卿親王)、また、『玉葉集』では「清見潟ふじの烟や消えぬらん月影磨くみほの浦波」(後鳥羽院)などが詠まれている。「清見潟」は、現在の清水港を挟んだ対岸の興津付近のことで、その地から三保松原を望み詠んだ歌となっている。また、江戸初期の俳人上島鬼貫は「春風や三保の松原清見寺」と詠み、正岡子規は「千鳥なく三保の松原風白し」と吟じている。
*3 浮世絵:葛飾北斎『富嶽三十六景 東海道江尻田子の浦略圖』、歌川広重『冨士三十六景 駿河三保之松原』、二代歌川豊国『名勝八景 三保落雁 駿州清見寺吉原當遠景』などがある。
*4 「羽衣伝説」:羽衣伝説は、常陸国風土記や丹後国風土記などにもみられ、古くから各地に伝わる「天人女房譚」。雅楽の「東遊び」のなかの羽衣伝説を題材とした「駿河歌」とそれに合わせる「駿河舞」などから生まれた能の「羽衣」のなかで、三保松原を舞台としたことにより、この地の伝説として有名になった。江戸時代には歌舞伎の演目にもなった。羽衣の松は三保松原の中央部あたりにあり、天女が羽衣をかけたとされる松で、御穂神社のご神体。現在の松は3代目といわれ、初代松は1707(宝永4)年の富士宝永山噴火の際に海中に没したと伝わっている。
*5 御穂神社:古社で延喜式内社。祭神は三穂津彦命(大国主命)と三穂津姫命。羽衣の松と500mの松並木の参道「神の道」で結ばれている。