智満寺ちまんじ

JR東海道本線島田駅の北約10km、標高478mの千葉山中腹にあり、奈良時代末の創建*1といわれる古刹。宗派は天台宗。
 鬱蒼とした杉木立に埋もれて、天正年間(1573~1593年)に徳川家康が再建造営した仁王門・中門・本堂・薬師堂などが点在している。なかでも1589(天正17)年に建立された本堂は、間口・奥行き5間、木割(原木から切り出した部材)は太く杉材を用いた入母屋造、茅葺きで、桃山時代の山岳仏教の様式がとり入れられている。本尊の木造千手観音立像*2は秘仏で、御開帳は60年に1度(次回は2054年)。
 また、本堂から徒歩30分ほどの千葉山山頂には奥の院があり、その付近には樹齢800~1000年を数える十本杉*3と呼ばれる巨木が点在し、天然記念物に指定されている。
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みどころ

杉木立の中、急峻な石段を登ると、途中に仁王門、中門があり、千葉山の鬱蒼とした森を背に茅葺きの簡素な本堂がどっしりと構える。奥の院に向かう参道(山道)の脇には薬師堂が建ち、まさに山岳仏教の修験道の霊場である寺院らしい雰囲気を醸し出している。
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補足情報

*1 創建:鑑真の孫弟子にあたる廣智が神護景雲年間(767~770年)に諸国行脚の途中、大井川の近くで東北の山に五色の瑞雲を見たとし、その地に一宇を創建したという。その後、開創当時の大伽藍は焼失し、1189(文治5)年に源頼朝が千葉常胤(千葉氏の中興の祖)に命じ、堂宇を再建造営した。この功によって、それまでの山号の「宝亀山」から「千葉山」と号するようになった。永禄年間には衰廃する時期もあったが、天正年間に入り、徳川家康の命により、寺領の朱印を受け、堂宇が造営された。
*2 木造千手観音立像:国指定の重要文化財で平安時代後期の作といわれている。 像高184.5cm 。カヤ材の白木の寄木造り。本尊の厨子は、入母屋三方造り本瓦葺き様、外面には極彩色を施されているという。
*3 十本杉:もともとは、開山杉・大杉・達磨杉・雷杉・常胤杉・経師杉・一本杉・盛相杉・子持杉・頼朝杉とされていたが、現在は開山杉、子持杉、頼朝杉は枯れや倒木のため、現存していない。