浜松凧あげはままつたこあげ

例年5月3~5日の3日間、浜松まつりの中心行事として中田島凧揚げ会場で行われる。大凧揚げの起源*1は定かではないが、遠州地方は季節風の「遠州の空っ風」や遠州灘からの風もあり古くから凧あげが盛んで、各家の長男が誕生すると、最初の端午の節句に縁戚者から祝い凧が贈られ、村の若衆によって揚げられる風習があったという。明治中期に至って「初凧」*2や「凧の糸切り合戦」(ケンカ凧)*3が市内各所で始まり、1919(大正8)年に市街北にある歩兵第67連隊和地山練兵場(現在の和地山公園)に集まって行われるようになった。第2次世界大戦中は中断したが、1948(昭和23)年に会場を中田島に移して再開し、現在は、中田島砂丘に隣接する凧場公園 (遠州灘海浜公園白羽地区)で行っており、「市民のまつり」、観光行事となっている。例年5月3日には初子の誕生と健康を祈る「初凧」が行われ、5月4日、5日の両日に勇壮な「凧の糸切り合戦」が行われている。
  凧揚げと同時に行われる「御殿屋台」は明治末頃に始まったといわれ、「凧の糸切り合戦」の帰りに大八車の四隅に柱を立てて凧を屋根がわりにして曳き、鐘や太鼓で囃し立てたのが始まりだという。昭和に入り、各町が競って絢爛豪華な「御殿屋台」を造り、練り歩くようになった。現在では80を超える町内から「御殿屋台」が出て、中心街で屋台の引き回しが行われる。
 中田島凧揚げ会場はJR東海道本線・東海道新幹線浜松駅から南へ約5km、まつりの期間中は浜松駅北口出口東側から付近まで臨時バスが運行される。また、砂丘の手前には浜松まつり会館*4もある。
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みどころ

「初凧」では、親子と若衆が協力して、できるだけ空高く凧を挙げようと必死になり、歓声を挙げる姿は微笑ましい。一方、「凧の糸切り合戦」は、勇壮な音のラッパ、響きわたる笛、打ち鳴らす太鼓、若衆たちの喚声と溢れる熱気、糸と糸がこすれ合って焦げる臭い、立ち昇る砂埃で、坩堝のような興奮が会場を包む。その迫力に圧倒されるとともに大空に舞う数々の大凧が美しい。また、夜の帳がおりると、御殿屋台には明りが灯され絢爛さが増し、お囃子が祭り気分を盛り上げながら、中心街を進んでいく。こちらもみどころ。
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補足情報

*1 起源:永禄年間(1558~1569)に引馬城の城主飯尾豊前守の長子誕生を祝って、領民がその子の名を書いた大凧を揚げたのが起源だという記録が元文年間(1736~1741年)に書かれた『浜松御在城記』にあるとされているが、この書物の史料的価値に疑義もあり原典も遺されていないことから、起源は定かになっていない。
*2 「初凧」:初凧は5月3日に行われる。子供の誕生を祝い、健やかな成長を願い、親子と町内の若衆が、2~3mもある大凧をできるだけ空高く揚げる。大凧にはそれぞれの町名に由来のある凧印と初子のいる家の家紋、初子の名前が書き入れられている。大凧が高く揚がれば揚がるほど、初子が健やかに成長すると言われる。                                                                                    *3 「凧の糸切り合戦」(ケンカ凧):5月4日、5日に行われ、花火の合図とともに、市内約170ヶ町のそれぞれの大凧(大きさは4~6畳程度)が一斉に揚げられ、遠州灘からの強い風を受け砂丘の空は凧で埋め尽くされる。高らかなラッパの音とともに数百人が入り乱れての糸切り合戦が始まる。太さ5㎜の凧糸を絡ませ、相手方の糸を摩擦によって切ろうと競い合うことから「ケンカ凧」ともいわれている。なかには10畳ほどの大きさの凧も揚がる。                                                                                          *4 浜松まつり会館:大凧や御殿屋台などが展示され、大凧揚げや糸切り合戦、御殿屋台の練り歩きの映像も流されている。