大石寺たいせきじ

JR身延線富士宮駅の北約7km、国道139号から西に入ったところにある。富士五山*1の一つで、日蓮正宗の総本山である。日蓮の直弟子である日興*2が身延山を離れ、1290(正応3)年に創建した寺。富士門流の大石寺は、1900(明治33)年日蓮宗富士派として独立し、その後、改名して日蓮正宗となった。
 古くからの信徒組織は法華講と呼ばれている。富士山の南の裾野に約70万m2の広大な境内*3を有し、総門、三門*4、参詣者の宿坊である中央、東、西の塔中、御影堂*5、客殿が並び、さらに御影堂の裏手に奉安堂、右手の高台の杉林の中に五重塔*6が建つ。このうち江戸時代からの建築物は、三門、御影堂、五重塔などである。
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みどころ

ともかくも広大な境内と壮麗な堂宇群に驚かされる。富士山を背景にした三門や客殿、奉安堂の景観は開放感があふれ、とくに奉安堂は遮ることなく富士山を背にしているので壮大な景色である。
 朱塗りの御影堂は境内最古の建物で、唐破風の彫り物や彩色が美しく、デザイン性の高い連子格子や棧唐戸も印象的。さらに右手奥の高台にある朱塗りの五重塔は、鬱蒼とした杉木立のなかに建ち、塔は高欄のない縁をめぐらし、垂木や蟇股が綿密に組ま込まれ表情豊かな邪鬼が軒を支え、すっきりとした立ち姿が良い。
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補足情報

*1 富士五山:富士山の南麓にある北山本門寺、西山本門寺、大石寺、小泉久遠寺、下条妙蓮寺の五山。                                                                       *2 日興:1246(寛元4)~1333(元弘3)年。甲斐国の生れ。弘安5年(1282)に日蓮から一切の付嘱を受け、日蓮没後は身延山久遠寺(みのぶさん・くおんじ)の別当職(住職)に就いた。その後、身延の地頭・波木井実長(はきりさねなが)が、民部阿闍梨日向(みんぶあじゃり・にこう)にそそのかされて数々の仏法に背く行為を犯し、日興は再三にわたりこれを諫め諭したものの、行いを改めることはなかった。そのために日興は、日蓮の「地頭の不法ならん時は我も住むまじ」との遺言、また「国主此の法をたてらるれば富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり」との遺命により、宗旨の根本たる本門戒壇の大御本尊をはじめ、日蓮の御灰骨、御書、御遺物等の一切の重宝を奉じ、正応2年(1289)の春に身延を離れた。その後、日蓮御在世当時からの強信者であった南条時光の請によって富士に移り、翌正応3年(1290)、大石寺を建立して大御本尊を安置し奉り、多くの弟子を養成し、万代にわたる仏法流布の基礎を築いた。
*3 境内:境内は自由に散策できるが、堂内への入場は日蓮正宗の信徒、または日蓮正宗の信徒と同伴の場合に限られている。宝物殿は日蓮正宗の信徒以外でも見学可。                                                               *4 三門:1717(享保2)年、江戸幕府6代将軍徳川家宣などの寄進により竣工。間口24m、高さ22mの朱塗り木造建築。数回の修復が行われ、昭和初期には、檜皮葺きから銅棧葺きへの改修や丸柱の入れ替えなどを行っている。
*5 御影堂:1290(正応3)年、日興により創建。現在の建物は1632(寛永9)年、阿波徳島藩初代藩主夫人の寄進により再建したもの。間口25m、高さ23m。その後解体改修も含め数回の改修が行われている。
*6 五重塔:1749(寛延2)年竣工。数回の改修が行われた。3間半の四方の塔で高さは34.3m。国指定の重要文化財。