白糸の滝しらいとのたき

JR身延線富士宮駅の北約11km、芝川の上流で、国道139号沿いにある。高さ20m、幅150mの湾曲した絶壁の全面に大小数百の滝が幾筋もの絹糸をたらしたように落ちる優美な滝で、古くからの景勝の地*1であった。水を通さない古富士火山層の上に、水をよく通す新富士火山層の段層があり、その間を富士山の雪どけ水が通り、この地で噴き出したもの。
 白糸の滝は古くから富士山信仰の対象になっており、富士講*2の信者たちが水行を行なった場でもある。
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みどころ

「白糸」の名の通り、幅150mにも及ぶ岩壁の間から絹糸のように流れ落ちる様は、流麗かつ繊細な景観である。新緑、紅葉期は周囲の色合いにシンクロし、とくに美しい。滝壺には駐車場から長い石段を下りる必要があるが、年間を通じて水温12℃、毎秒1.5tの湧水が流れ落ちている滝壺付近では水しぶきが霧のように舞い、清涼な空気に包まれる。
 駐車場付近には滝壺まで下りずに滝を展望できるスペースが2ヵ所あり、その一つは天気に恵まれれば滝の上に富士山を見渡すことができる。
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補足情報

*1 古くからの景勝の地:江戸末期の『駿河志料』によれば「里人の口碑に傳ふるは、鎌倉家(源頼朝)建久の狩塲の時、此瀑布御覧じて、一首の和歌を詠じ給へりと云 『しら糸を合緒によりてむすぶれど 瀧つながれば手にもたまらず』 此地は奇景の地にして、天正の織田殿通行にも立寄らせ給ひし由、武徳編年集成に記せり」としている。また、同じ『駿河志料』では「水は管以て吹が如く、白絲を亂せる如くにて、實に白絲の瀧なり、あたかも純白なること、氷晶の管を掛けたらん如き壮観なり」とし、「瀧壺より下は巨石許多横たははり幽清の地なり」とその景観を描写している。                                                        
*2 富士講:江戸初期の16~17世紀に富士山体や周辺の「人穴」、「風穴」などで修行した長谷川角行が後に「富士講」と呼ばれる富士山信仰の基礎をつくったとされる。さらに角行の弟子たちに受け継がれた富士信仰は、江戸期に入り安定的な社会経済になったことにより現世利益の信仰が求められ、教義がその潮流に合致したため、江戸を中心に信者を増やしたといわれている。弟子のなかでも村上光清と食行身禄などの修行者、指導者や、宿坊を経営する神職でもある御師が「富士講」の広布に大きく寄与しという。富士講においては指導者の長谷川角行らの言行にならって、溶岩洞穴や湖沼、滝なども修行の地とされ、白糸の滝もそのひとつである。