長滝白山神社ながたきはくさんじんじゃ

東海北陸自動車道の白鳥ICから約10分、長良川鉄道越美南線白山長滝駅から徒歩約1分の郡上市白鳥町長滝にある。
 奈良時代717(養老元)年、越前の高僧泰澄(たいちょう)*の創建と伝わり、のち神仏習合によって白山中宮長滝寺と称された。平安時代832(天長9)年、白山に登拝する美濃禅定道(ぜんじょうどう)*の美濃馬場(みのばんば)として、白山信仰の中心地になった。隆盛時の鎌倉・室町時代には6谷6院360坊を有し、歴代の朝廷や武士達の信仰も厚く、信徒は美濃・尾張・三河・駿河など広範囲に広がった。
 明治時代の神仏分離により、長滝白山神社と白山長龍寺(ちょうりゅうじ)に分かれた。1899(明治32)年の大火により、ほとんどの堂宇が焼失したが、多くの寺宝は持ち出され難をのがれた。主要な堂宇は、大正時代から昭和時代初期にかけて再建された。老木の生い茂る境内には、正面に1910(明治43)年再建の拝殿・本殿が、右手に白山龍宝殿、左手に長龍寺が配され、鎌倉時代の作といわれる石灯籠もある。
 年越し行事の「長滝の延年」は大晦日から7日間行われ、1月6日の六日祭に延年舞いが奉納された後、若者達が拝殿天井に吊された花笠を奪いあう豊年祈願の「花奪(はなば)い」が行われる。
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みどころ

標高2702mの白山は、日本を代表する霊山。かつて白山へ参る人々は「上り千人、下り千人」と言われるほど賑わいがあり、白山中宮長滝寺は、越前(福井)の平泉寺白山神社、加賀(石川)の白山比咩神社と並び、白山信仰の美濃(岐阜)側の霊場であった。
 明治時代の神仏分離や大火などにより、往時の規模より小さくなったものの、境内の様子や白山龍宝殿での神像や仏、近くの白山文化博物館の寺宝等が、白山信仰の長い歴史と時の流れを感じさせてくれる。
 白山文化博物館は白山連峰をイメージした白いとんがり屋根で、内部は白山に関する文化を写真・映像で紹介するテーマ展示室、文化財を展示する文化財展示室などが設けられている。テーマ展示室では、迫力ある大型映像により白山の魅力を感じることができる。
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補足情報

*泰澄(たいちょう):682(天武天皇11)~767(神護景雲元)年。奈良時代の修験者。加賀(石川県)白山の開創者とされる。717(養老元)年、弟子の浄定(きよさだ)らと白山にのぼり、妙理大菩薩を感得したという。越前(福井県)出身。俗姓は三神。通称は越(こし)の大徳。号は神融禅師。
*美濃禅定道:白山へ参拝する美濃側のルート。美濃市の洲原神社から郡上市白鳥町の白山中宮長滝寺、石徹白の白山中居神社・いとしろ大杉、神鳩峰、三ノ峰、別山を経て白山山頂(御前峰)に至る。