根尾谷淡墨ザクラねおだにうすずみざくら

樽見鉄道樽見駅から徒歩約15分の淡墨公園にある。地元では、継体(けいたい)天皇お手植え*と伝わり、樹齢1500余年といわれるエドヒガンザクラで、高さ17.3m、幹囲9.4m、枝張り東西22.4m、南北24.2m。幹からは東・北・西南にそれぞれ大枝が出ており、幹基部には各所に大きなこぶがある。
 淡いピンクのつぼみが、満開になれば白に、そして散り際には淡い墨色になることから淡墨ザクラと名付けられたと言われている。サクラの見頃は、例年3月下旬から4月上旬。サクラの開花時期にはライトアップも行われる。
 山梨県の「山高神代桜」と福島県「三春滝桜」などとともに、日本でも名の知れたサクラのひとつ。宇野千代の小説『薄墨の桜』*や中島千波の日本画「薄墨桜」*などでも、題材として取り上げられている。
 一帯は公園として整備され、4500m2の芝広場、さくら資料館などがある。
#

みどころ

1500年以上も生きて、たくさんの支柱に支えられながらも、大きな巨樹に美しい花を咲かせる「一本桜」の生命力に驚かされる。
散り際まで花の色の変化が楽しめる。春の日差しを浴びた昼間の淡墨ザクラもさることながら、サクラが浮かび上がるように設計された日没後のLED照明によるライトアップでは、幻想的な淡墨ザクラも見ることができる。
 淡墨ザクラは、2度も枯死の危機にさらされたが、樹木医やサクラを守ろうと奮闘した人々の力によって、生き返っている。大正時代(1912~1926)初期の大雪で、幹に亀裂が生じ瀕死の状態になった。地元の有志で淡墨ザクラ顕彰保存会が設立され、1949(昭和24)年に盆栽づくりの名人でもあった医師らによる238本の根継ぎで、復活した。
 しかし、1959(昭和34)年の伊勢湾台風で、大打撃を受けた。1967(昭和42)年に訪れた作家の宇野千代*が、老桜の痛々しい姿に心をうたれ、当時の岐阜県知事らに保護を訴えた。国・県により、幹周辺をこれまでより広く柵で囲み根を守る・支柱を増やして枝を守る・白いカビを削り取って幹を守る・大量の肥料を与えて若返りをはかる等の再生事業が実施され、サクラは蘇生した。近年では、腐朽部除去・殺菌剤散布・木質強化剤塗布・ウレタン充填、積雪対策など様々な技法が用いられている。
 幾度も不死鳥のごとく蘇った老桜が、これからも満開の花を咲き続けられることを願いたい。
#

補足情報

*継体天皇お手植え:1500余年前、皇位継承をめぐる争いで迫害を受けた男大迹王(後の継体天皇)は根尾谷に住んでいたが、29才の時に都へ旅立つ際に植えたとされる。
*宇野千代の小説『薄墨の桜』:小説家の宇野千代(1897(明治30)年~1996(平成8)年)は、1914(大正3)年岩国高等女学校卒業。女性的な情感にあふれた作風で知られる。小説『薄墨の桜』を、「新潮」の1971(昭和46)年1月号に発表した。1974(昭和49)年11月号まで分載され、1975(昭和50)年4月、三井永一の装幀・挿画で新潮社から刊行された。
*中島千波の日本画「薄墨桜」:日本画家の中島千波(1945年(昭和20)~)は、人間を題材とした「衆生」「形態」などのシリーズのほか、サクラをはじめとする花鳥画など多彩な画題に取り組む。「薄墨桜」は、サクラの古木を描きはじめるきっかけとなったという。東京藝術大学名誉教授。日本美術家連盟常任理事。
関連リンク 本巣市観光サイト(WEBサイト)
参考文献 本巣市観光サイト(WEBサイト)
本巣市(WEBサイト)
『広報もとす 2013年4月号 淡墨桜特集』本巣市
『東海花の名所』山と渓谷社

2024年02月現在

※交通アクセスや料金等に関する情報は、関連リンクをご覧ください。