槍ヶ岳やりがたけ

北アルプスの中央部、穂高連峰の北方にそびえ標高3,180m。高さでは奥穂高岳に及ばないが、天に向かって尖峰を突き上げ、キリリとひきしまった山容は、日本アルプスの王者と仰がれている。尾根も雄大で、北は険しい北鎌尾根がつづき、東は大天井岳、南は穂高連峰、西は三俣蓮華岳へと延びている。
 山体の標高2,500m以上の部分は、洪積世氷期に氷河の浸食をうけて、裸岩が露出し、天上沢・千丈沢・槍沢などの氷河谷はU字状の横断面をみせる。槍ケ岳の初登頂は1828(文正11)年、播隆上人*によってと言われている。以来、登山界の先人たちによってさまざまなルートが開かれ、鎖場や鉄梯子など多くあるが今では比較的容易に登ることができる。
 上高地からの登山が一般的ではあるが、新穂高温泉からも入ることができる。北アルプスの一般的縦走ルートである表銀座・裏銀座コース*とも槍ケ岳が主役。このほか大キレット経由で穂高連峰への縦走も可能である。
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みどころ

槍ヶ岳は山頂部分が見事な尖塔の形状であり、その標高も3,000mを超えるため、北アルプスの山々から真っ先に特定できる。明治時代、日本の山々を数多く登り、その美しさを褒めたたえ世界中に紹介したイギリス人の宣教師 W.ウェストン*は、槍ヶ岳を日本のマッターホルンと称賛した。
 北アルプスの中でも槍ヶ岳の東側の常念岳や大天井岳からきれいな三角錐の槍ヶ岳が望め、西側の笠ヶ岳や三俣蓮華岳からは小槍のピークを従えた山頂部分が美しい。残念ながら、そのピラミッドが山頂部分だけであることと、北アルプスの中央部に位置して前衛の山々に隠されているため、遠方の平野部からはその姿はなかなか確認しにくい。長野市周辺からは槍ヶ岳の穂先が北アルプスの合間に確認できる。また東側に70~100km離れた志賀高原~軽井沢周辺の山々などの山頂からは、穂高連峰と槍ヶ岳の岩壁がきれいに見える。
 全山三角錐のマッターホルンに比べると山容の規模では及ばないものの、登山としての魅力が豊富である。高山植物やカール*などの景観はもちろんのこと、穂高連峰や、表銀座、裏銀座への縦走路が数多く、それぞれ登ってもその変化を楽しめる山である。(林 清)
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補足情報

*播隆上人(ばんりゅうしょうにん):1786~1840年。念仏行者。飛騨で修行の際、円空上人らの笠ヶ岳登山の事を知り、その登山道を改修。笠ヶ岳からの槍ヶ岳・穂高連峰を望んで感銘を受ける。1826(文政9)年中田又重の案内で信州側から入り、槍ヶ岳へ初登山する。2年後、山頂に仏像を安置し開山。以後も一人でも多くの人々が登山できるように、槍ヶ岳の岩壁に鉄の鎖をかけるための浄財集めにも奔走し、その後又重ら信者たちにより鎖がかけられた。新田次郎の小説「槍ヶ岳開山」は播隆上人をモチーフとしたもの。松本駅前には播隆上人の像が立っている。
*表銀座・裏銀座コース:表銀座コースは中房温泉から燕岳、大天井岳、西岳、槍ヶ岳東鎌尾根経由で槍ヶ岳に至る縦走路。北アルプスの中でも人気が高く、多くの登山客が集まるので、表銀座とよばれている。裏銀座コースは七倉から烏帽子岳、野口五郎岳、三俣蓮華岳、槍ヶ岳西鎌尾根経由で槍ヶ岳に至る縦走路。表銀座よりも長いルートで裏銀座といわれている。どちらのコースも槍ヶ岳を目指して縦走していくため、槍の山頂に到達したときにその縦走路を振り返る時の感動は大である。
*W.ウェストン:イギリスの宣教師で登山家。1888(明治21)年から3回にわたり来日。北アルプス、南アルプスなど高山を探検登山し、1896(明治29)年に「日本アルプス登山と探検」をロンドンで刊行、日本の山岳美を紹介した。
*カール:氷河期、斜面に固まった雪が氷河となりその重みで下方に少しずつ滑り落ちる時に地面を削っていく。氷河がとけた時期になるとスプーンですくったような地形やU字型の地形を残す。スプーンで削り取ったような地形をカール(圏谷)と呼び、U字型の地形をフィヨルドと呼ぶ。
関連リンク 信濃大町なび(一般社団法人大町市観光協会)(WEBサイト)
関連図書 「槍ヶ岳開山」新田次郎 文藝春秋
参考文献 信濃大町なび(一般社団法人大町市観光協会)(WEBサイト)
新まつもと物語(松本市)(WEBサイト)
「長野県の山」 山と渓谷社
「信州山歩き地図Ⅱ」 信濃毎日新聞社
「甲信越百名山」 山と渓谷社

2022年09月現在

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