山高神代桜やまたかじんだいざくら

JR中央本線日野春駅から西へ釜無川を渡り、約5kmの大武川の南岸にある實相寺*1の境内にある。大きな樹幹に、長い枝を伸ばしている「神代桜*2」はエドヒガン(シロヒガン)*3ザクラの古種で樹齢約2000年と推定される。最盛期*4は幕末から大正期といわれ、現在はその頃に比べると小さくなったものの、高さ約10m、周囲12mほどで東に枝を伸ばしている。例年4月中旬に開花する。
 なお、現在、實相寺の境内には神代桜以外に神代桜の種子を宇宙に持っていき、その種子から育てた「宇宙ザクラ」や福島県三春滝ザクラ・岐阜県淡墨ザクラ・身延山久遠寺シダレザクラのそれぞれの子孫ザクラも植えられおり、ソメイヨシノなど30本の桜が春の開花期には境内を華やかにしている。また、境内前庭の花畑にはラッパ水仙が8万株も植栽され、サクラと同時期に開花する。
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みどころ

大正初期の「北巨摩郡誌」には「花時は頗る奇観にして、特に遊覧の客多し」として、最盛期であった頃の様子を記している。しかし、その後、台風被害などもあって樹勢が衰え、第二次世界大戦後には一時は瀕死の状態であったが、實相寺・地元の協力のもと、樹勢回復の努力を続けている。現在も衰えは隠せないが、回復傾向にある。境内には各地の名桜の子孫ザクラが植えられ、ソメイヨシノや前庭のラッパ水仙と合わせ、開花期には淡紅、ピンク、黄色と豊かな彩りとなり、研ぎ澄まされた山姿の残雪の甲斐駒ヶ岳も加わって美しい山里の風景となる。
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補足情報

*1 實相寺:身延山久遠寺の末寺。寺伝では日蓮を身延山に招請した波木井六郎実長の末裔が日應と号し仏門に入り、1375(永和元)年に山高村(現・北杜市・旧武川村)大津にあった真言宗の寺を改宗して大津山實相寺としたという。さらに1561(永禄4)年に川中島の合戦に際し、武田信玄により武運長久の祈願を命ぜられ、永代祈願所として現在地を寄進され移転したという。江戸期には二度の火災に遭い、歴史的建造物や寺宝等は残っていないものの、江戸後期の地誌「甲斐国志」では、「老木ノ柳桜アリ 仏堂、僧堂、番神堂、常唱堂、鐘楼、法蔵、総門等備ハレリ」とあり、相応の伽藍配置があったとみられる。
*2 神代桜:伝承では日本武尊が東征の折に植えたと伝えられ、それが名前の由来となっているという。また、寺伝では日蓮がこの木の衰えを見て祈願し再生させたとも伝えられていることから「妙法桜」とも言われる。
*3 エドヒガン(シロヒガン)ザクラ:日本に自生するサクラの野生種のひとつ。本州から九州まで分布。開花期に葉が出ないことが特徴で長命であるとされる。花は薄紅色から白。花弁は5枚一重。ソメイヨシノもこのサクラの交配品種である。
*4 最盛期:1922(大正12)年に国の天然記念物に指定されたころは、 高さ13.6m、枝張り東西27.0m、南北30.6mの巨木だったという。