称名寺しょうみょうじ

北条実時(さねとき)*が金沢の別邸内に、称名念仏を行うための持仏堂を建てたのが寺の起こりと伝える。1267(文永4)年、下野薬師寺の審海(しんかい)を請じて開山とし、律院に改められた。寺は金沢北条氏の庇護のもと隆盛を極め、1323(元享3)年に描かれた『称名寺絵図並結界記』には、堂宇の建ち並ぶ姿が見られる。その後、鎌倉幕府が倒れて金沢北条氏も滅亡し、寺運は衰えたが、室町時代には足利氏の祈願所となり、戦国時代には小田原北条氏の保護を受け、江戸時代には寺領百石の朱印寺となる。
 現在は金堂*・釈迦堂・鐘楼・仁王門などの堂宇がわずかに残るが、1987(昭和62)年には鎌倉時代にあった庭園苑池が『称名寺絵図』と発掘調査に基づいて復原された。南の仁王門から池を東西に分けて反橋、中島、平橋を渡って金堂に至る形式は、鎌倉時代を代表する浄土庭園として貴重とされている。
 境内背後の稲荷山と日向山の間に北条実時の墓が、金沢山のふもとに北条顕時(あきとき)、北条貞顕(さだあき)の墓がある。
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みどころ

閑静な住宅街のなかに、美しい庭園を持つ中世の伽藍が広がっている。隣接する神奈川県立金沢文庫では、鎌倉時代を中心とした貴重な文化財を所蔵しており、あわせて訪れたい。境内まで車が入ってこられるため、雰囲気が若干損なわれているのは残念だが、静かな環境に身をおきながら、はるか中世の世界に思いをめぐらすのもよいだろう。(門脇 茉海)
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補足情報

*北条実時(さねとき):1224~1276年。北条執権第2代義時の孫。越後守、小侍所別当、引付衆、評定衆、越訴奉行を歴任し、執権時頼、時宗らを助けた。文武両道に通じた武将であった。
*金堂:1681(天和元)年に再建が始められた堂で、入母屋造。完成は1682(天和2)年。一部に鎌倉時代の古材を用いている。本尊の弥勒菩薩立像は像高約1.9m、建治2(1276)年3月30日の銘があり、像内に版本法華経・紙本三劫三千摺仏などが納められていた。また、壁面には弥勒来迎(みろくらいごう)図・弥勒浄土図の二面の板絵がある。
*北条実時像は、実時の晩年の姿を描いている。同じく国宝に指定されている北条顕時、北条貞顕、北条貞将(さだゆき)の像があり、3人は実時の嗣子、孫、曽孫である。
*文選集注(もんぜんしっちゅう)は、金沢北条氏の収集した写本の一つで、平安時代に書写されたものと思われる。原本となった本は中国の梁時代(502~557年)に、周時代以降の詩文などを集めた『文選』の注釈書で、写本は称名寺に19巻が残り、国宝に指定されている。
関連リンク (一社)横浜金沢観光協会(WEBサイト)
参考文献 (一社)横浜金沢観光協会(WEBサイト)
横浜市(WEBサイト)

2020年04月現在

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