馬場大門ケヤキ並木
京王線府中駅からすぐ西側、大國魂神社大鳥居から桜通りまでの約600mに、約120本のケヤキ等の高木が並ぶ。このうち、約4割の45本が約50年以上の樹齢で幹周り2m以上の巨木である。残り6割はここ50年の間に植栽された比較的歴史の浅い個体であり、幹回りは1~2m程度である。このほかにエノキ、イヌシデなど9本が生育する。ケヤキ並木としては日本で唯一の天然記念物である。
起源については諸説あるが、有力な説として二つある。まず一つ目は、1062(慶長7)年、源頼義・義家親子の伝説である。源親子は前九年の役という戦いに挑む前に、六所宮(現在の大國魂神社のこと)で戦勝を祈願し、見事勝てたお礼としてケヤキの苗1,000本を寄進したと言い伝えられている。
二つ目は、徳川家康と関係する。関ヶ原の戦いと大阪の役で、六所宮で戦勝を祈願し、勝てたお礼として、馬場を寄進し、ケヤキの苗を補植したという説がある。それが現在のケヤキ並木の形に繋がっていると考えられる。
馬場大門*のケヤキ並木はその名のとおり、並木の樹木のほとんどがケヤキであるが、20科30種が確認された。2004(平成16)年時点での調査によると152 本のケヤキ、38本のイヌシデ、8本のトウカエデなど、計215本の樹木が生育していたとされる。樹木の本数は、1949(昭和24)年の調査時の499本がピークで、2004年までに半減している。地下水の大量くみ上げ、大気汚染、ケヤキの根が地中で広がっている事から自動車による踏圧害など周辺の環境悪化により、特にイロハモミジやスギが激減したところが大きい。2004年の調査で、ケヤキの植栽年代を見ると、1955年以前が45本、56年から75年に66本、76年から85年が19本、86年から92年に植栽されたケヤキは存在せず、93年から2004年が21本となっている。同年調査によると1956年以前に植栽されたケヤキのうち26本は胸高周囲は3mを超えており、その26本の中には胸高周囲6mを超える古木が2本確認されている。
起源については諸説あるが、有力な説として二つある。まず一つ目は、1062(慶長7)年、源頼義・義家親子の伝説である。源親子は前九年の役という戦いに挑む前に、六所宮(現在の大國魂神社のこと)で戦勝を祈願し、見事勝てたお礼としてケヤキの苗1,000本を寄進したと言い伝えられている。
二つ目は、徳川家康と関係する。関ヶ原の戦いと大阪の役で、六所宮で戦勝を祈願し、勝てたお礼として、馬場を寄進し、ケヤキの苗を補植したという説がある。それが現在のケヤキ並木の形に繋がっていると考えられる。
馬場大門*のケヤキ並木はその名のとおり、並木の樹木のほとんどがケヤキであるが、20科30種が確認された。2004(平成16)年時点での調査によると152 本のケヤキ、38本のイヌシデ、8本のトウカエデなど、計215本の樹木が生育していたとされる。樹木の本数は、1949(昭和24)年の調査時の499本がピークで、2004年までに半減している。地下水の大量くみ上げ、大気汚染、ケヤキの根が地中で広がっている事から自動車による踏圧害など周辺の環境悪化により、特にイロハモミジやスギが激減したところが大きい。2004年の調査で、ケヤキの植栽年代を見ると、1955年以前が45本、56年から75年に66本、76年から85年が19本、86年から92年に植栽されたケヤキは存在せず、93年から2004年が21本となっている。同年調査によると1956年以前に植栽されたケヤキのうち26本は胸高周囲は3mを超えており、その26本の中には胸高周囲6mを超える古木が2本確認されている。

みどころ
大きなケヤキが茂る通りをゆっくりと歩いてほしい。特に新緑の時期から紅葉までの期間は、圧巻の景色を堪能できる。バイパスがないためか、車の通行量が多いが、毎週日曜日・祝日には、正午から18時まで、車の侵入を規制しているので並木道の散策には最適だ。市で行われるヨサコイや商工祭りは、ケヤキ並木で開催される。並木で祭りがいっそう映えるし、市民に大切な場所であることもわかる。

補足情報
*馬場大門:東京都道133号小川山府中線のけやき並木北交点(東京都立農業高等学校前)から大国魂神社前交点までの全長約700mの古称。大門は本道の「馬場中道(大門)」と側道の「東馬場」「西馬場」から構成される。本道の馬場中道両側にある並木が馬場大門のケヤキ並木である。
関連リンク | 府中市役所(WEBサイト) |
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参考文献 |
府中市役所(WEBサイト) 「ケヤキ並木の概要」府中市 水と緑が薫る歴史のまち府中観光協会(特定非営利活動法人府中観光協会)(WEBサイト) |
2025年06月現在
※交通アクセスや料金等に関する情報は、関連リンクをご覧ください。