隅田川橋梁群すみだがわきょうりょうぐん

隅田川は荒川の下流にあたり、東京都北区の岩淵水門で隅田川として分かれて、北区、足立区、荒川区、墨田区、台東区、中央区、江東区を流れ、東京湾へ注ぐ一級河川である。長さは約23.5km。東京の市街地を流れる最大の川で、古くは浅草川・大川とも呼ばれた。
 1594(文禄3)年に隅田川で最初の橋である千住大橋*が架けられたが、防衛上の理由から、江戸幕府はこれ以降、隅田川への架橋を認めなかった。1657(明暦3)年に発生した明暦の大火で、火に追われた人々が逃げ場を失い多くの犠牲者が出たため、防火面と隅田川左岸側の開発に合わせて、1659(万治2)年に大橋*(現・両国橋)が架けられた。その後、1693(元禄6)年に新大橋*、1698(元禄11)年に永代橋*、1774(安永3)年に吾妻橋*と、江戸時代に5つの橋が架けられた。明治時代は、1874(明治7)年に厩橋*、1914(大正3)年に白鬚橋*、1903(明治36)年に相生橋*が架けられた。
 1923(大正12)年9月1日の関東大震災で、新大橋以外の橋が破損や焼失などの被害を受け、震災後、帝都復興計画の一環として、被害を受けた橋を架け替えるとともに、1927(昭和2)年~1928(昭和3)年にかけて言問橋*、駒形橋*、蔵前橋*、清洲橋*が新たに架けられた。この震災復興では異なる構造形式の橋が架けられ、いずれの橋も再びの大震災に耐えうるよう耐火性や耐久性に力が入れられ、当時の最先端技術を用いて強度が高められた。これにより太平洋戦争末期1945(昭和20)年の関東大空襲にも持ちこたえ、今でも主桁や石の親柱は架橋時のものが多い。
 臨海部の開発に伴い、1940(昭和15)年に勝鬨橋*、1964(昭和39)年に佃大橋*、1993(平成5)年に中央大橋*、2018(平成30)年に築地大橋*が、首都高速道路整備関連では1970(昭和45)年に両国大橋*、1979(昭和54)年に隅田川大橋*が架けられた。1985(昭和60)年に完成した桜橋*は、隅田川で唯一の歩行者専用橋である。
 春の墨堤の桜、夏の花火、冬の雪景色と、四季を通じて江戸っ子に親しまれ、江戸の文化は隅田川に沿って発達したといわれる。その隅田川に架かる橋梁群は、東京東部を走る幹線道路の一部として都市交通を支えるのみならず、東京を代表する都市景観の一つとなっている。
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みどころ

隅田川や隅田川の橋梁見物には、水上バスを利用するとよい。水上から橋の全貌が眺められ、橋の下をくぐりぬける迫力も味わえる。日没後はそれぞれの橋がライトアップされ、輝く橋と水面に映る光が夜の隅田川を彩る。
 隅田川に架かる橋のデザインは、地域の特性やお互いの橋との関係が考慮されていて、それぞれ異なる形でありながら統一感がある。一つ一つの橋が一体となり、都市景観としての魅力をより一層高めている。
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補足情報

*千住大橋:1594(文禄3)年に架けられた隅田川最古の橋。
*大橋(現・両国橋):1657(明暦3)年に発生した明暦の大火を機に、防災の必要から幕府が架橋を許し、1659(万治2)年に完成した橋。はじめ大橋と呼ばれたが、のち両国橋と改められた。
*新大橋:1693(元禄6)、千住大橋、両国橋に次いで3番目に完成した橋。当時、大橋と呼ばれた両国橋に続く橋として新大橋と名づけられた。1912(明治45)年に鋼鉄製の橋に架け替えられ、1923(大正12)年の関東大震災で損壊することもなく、多くの人を救ったことから「お助け橋」といわれた。現在の橋は1977(昭和52)年に完成した。
*永代橋:1698(元禄11)年、千住大橋、両国橋、新大橋に次いで架橋された。1923(大正12)年の関東大震災で被災し、重厚なアーチが特徴である現在の橋は、1926(大正15)年に震災復興事業として完成した。2007(平成19)年に国の重要文化財に指定された。
*吾妻橋:1774(安永3)年、千住大橋、両国橋、新大橋、永代橋に次いで5番目に架けられた。1923(大正12)年の関東大震災で被災し、現在の橋は、1931(昭和6)年に震災復興事業として架橋された。浅草寺との調和を図るため、平成初期に赤色に塗り替えられ、2019(令和元)年に、橋の延命化と地域の景観に合わせて弁柄色に塗装された。浅草と東京スカイツリーがある押上を結び、橋のたもとには水上バス乗り場がある。
*厩橋:1874(明治7)に隅田川6番目の橋として架けられ、1893(明治26)年に鉄橋に架け替えられた。1923(大正12)年の関東大震災で被災し、現在の橋は、1929(昭和4)年に震災復興事業として架橋された。
*白鬚橋:1914(大正3)年に架けられ、1931(昭和6)年に現在の橋に架け替えられた。橋の名前は東向島の白鬚神社に由来する。
*相生橋:1903(明治36)年に架橋された。関東大震災で焼失し、1926(昭和元)年に再建された。現在の橋は1999(平成11)年に完成した。
*言問橋:1928(昭和3)年竣工。隅田川両岸の隅田公園をつなぐ橋。
*駒形橋:1927(昭和2)年竣工。名前は橋の西詰にある駒形堂に由来する。
*蔵前橋:1927(昭和2)年竣工。関東大震災の復興事業により新たに架設された橋。
*清洲橋:1928(昭和3)年、震災復興事業の一つとして完成。ドイツ・ケルンの吊橋をモデルにした吊橋で、2007(平成19)年に国の重要文化財に指定された。
*勝鬨橋:1940(昭和15)年に架橋された。船舶が航行する際に中央部の左右約52mが斜め上へ跳ね上がる電気式の可動橋。航行する船の減少や交通量の増加から、1970(昭和45)年以降は開閉されていない。永代橋、清洲橋とともに、2007(平成19)年に国の重要文化財に指定された。
*佃大橋:1964(昭和39)年竣工。江戸時代の初期から始まったとされ、隅田川流域で最後まで残った渡し船であった佃の渡しは、佃大橋の完成に伴い300年以上の歴史に幕を下ろした。
*中央大橋:1993(平成5)年竣工。中央区新川と佃島を結ぶ橋。
*築地大橋:2018(平成30)年竣工。中央区の築地と勝どきを結び、隅田川で最も下流に架かる橋。
*両国大橋:1969(昭和44)年竣工。大半が隅田川の上にある首都高速道路両国ジャンクションの橋梁部分は両国大橋と呼ばれる。立体交差した2層の橋で、上の橋桁が下の橋桁を吊り上げる構造。自動車専用の橋。
*隅田川大橋:1979(昭和54)年完成。隅田川唯一の二層式の橋で、上層は首都高速9号線、下層は一般道路(都道475号)と歩道。清洲橋と永代橋の眺めが良い。
*桜橋:1985竣工。台東区と墨田区にまたがり隅田川両岸に位置する隅田公園を結ぶ歩行者専用橋で、X字型をしている。
関連リンク 東京都建設局(WEBサイト)
参考文献 東京都建設局(WEBサイト)
「東京の橋 生きている江戸の歴史」 石川悌二 新人物往来社
「東京再発見-土木遺産は語るー」伊東孝 岩波新書

2025年10月現在

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