高崎白衣大観音
1936(昭和11)年、高崎市の実業家井上保三郎氏*によって、高崎歩兵第一五連隊戦没者慰霊供養、観光高崎の建設を目的に、白衣大観音像が建立され開眼法要された。
高さおよそ42m、9階に分かれた内部には20体の仏像が安置され、上部まで階段で胎内巡りができる。上部からは三国山脈、秩父・八ガ岳、赤城の山々が眺望できる。参道にはみやげ物店が軒を並べている。
大観音建立の5年後、この大観音の隣に慈眼院が和歌山県高野山から移された。別格本山の格式をもつ。
高さおよそ42m、9階に分かれた内部には20体の仏像が安置され、上部まで階段で胎内巡りができる。上部からは三国山脈、秩父・八ガ岳、赤城の山々が眺望できる。参道にはみやげ物店が軒を並べている。
大観音建立の5年後、この大観音の隣に慈眼院が和歌山県高野山から移された。別格本山の格式をもつ。
みどころ
高崎市郊外の丘陵(標高約220m)の上に立ち、高崎市内をやさしい目で見下ろしている。なによりも高崎市内からランドマークとして目立っているのが良い。このためもあり、高崎市民に親しまれている。観音様の表情も柔和で親しみを感ずることができる。JRや国道17号で東京方面から高崎市内に入る時、左側に大観音が見えると、高崎市に入ってきたことがしみじみと実感できる。特に夜はライトアップされ、白くよく光る観音像が望める。
駐車場からの参道は石畳の緩やかなカーブで大観音が隠れており、途中から見える姿が美しい。しかし廃墟化した建物、朽ちかけの土産物屋が所々見える姿が残念である。
上毛かるたでは「白衣観音 慈悲の御手」とうたわれている。(林 清)
駐車場からの参道は石畳の緩やかなカーブで大観音が隠れており、途中から見える姿が美しい。しかし廃墟化した建物、朽ちかけの土産物屋が所々見える姿が残念である。
上毛かるたでは「白衣観音 慈悲の御手」とうたわれている。(林 清)
補足情報
*井上保三郎:1868~1938年。高崎の近代化と市民社会確立の父といわれている。1929(昭和4)年、昭和恐慌の只中で、井上工業株式会社を設立。
関連リンク | 慈眼院(WEBサイト) |
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参考文献 |
慈眼院(WEBサイト) 高崎市(WEBサイト) |
2020年04月現在
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