下野市は、栃木県の南部に位置し、宇都宮市、小山市、栃木市、真岡市、壬生町、上三川町に接する。東に鬼怒川と田川、西に思川と姿川が流れる高低差のあまりない地域である。
 市の中央部をJR東北本線(宇都宮線)、国道4号が並行して南北に通り、この東方を新4号バイパスが縦貫し、市の北部を国道352号が横断する。
 市域の西境を南流する思川と支流の姿川に挟まれた台地上に、奈良時代、下野国分寺・国分尼寺が創建された。国指定史跡の両寺跡は、史跡公園として整備されている。7世紀後半から8世紀前半にかけて創建された下野薬師寺(寺跡は国指定史跡)は日本三戒壇の一つに数えられる。中世、姿川左岸の下古山に宇都宮氏一族の児山朝定が築城したと伝える児山城があった。近世には姿川東岸を日光街道が南北に通り、小金井宿、石橋宿が形成される。両宿には本陣・脇本陣が置かれ、周辺農村の中心町として栄えた。小金井一里塚は国指定史跡である。
 現在は都市近郊農業で、米、麦を中心にホウレンソウ、タマネギなどの露地栽培、またキュウリ、トマト、イチゴなどの施設園芸や肥育牛との複合経営も盛んである。かんぴょう(干瓢)や農家の副業に織られていた結城紬は特産品。工業は建設用木材加工、電気機械、プラスチック、食品加工などを中心としている。

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下野薬師寺跡の写真

写真提供:下野市教育委員会事務局文化財課

下野薬師寺跡 (栃木県 下野市 )

下野薬師寺跡は、今から1300年前頃、飛鳥時代に建てられた寺の跡である。  下野薬師寺は、当時の中央政界で活躍した下野国出身の下毛野古麻呂をはじめとする下毛野氏の寺として創建されたと言われている。  奈良時代に国立の寺院に昇格し、761(天平宝字5)年には僧の養成所である戒壇が設置され、奈良の東大寺、九州の筑紫観世音寺とと...