高勝寺こうしょうじ

JR両毛線岩舟駅の北方、約200mの岩船山山頂にある。770(宝亀元)年、弘誓坊明を願という地蔵信仰に厚い僧が、夢のお告げにより、生身の地蔵菩薩を求めて岩船山に登ったところ、夢の通りに地蔵を拝したとして、堂宇を建てたのが始まりという。入口の山門は弁柄塗装の楼門で、1742(寛保2)年の再建、棟高12.95mは県内一の大きさ。山上には、1751(寛延4)年建立の三重塔がある。地元大工棟梁の作である。鐘楼も同じころの造立で、岩舟石で下部の袴腰が造られている。本堂は近年再建されたものである。
 高勝寺には、子授かりと安産祈願、祖先と水子の供養の2つの顔がある。新田義貞も高勝寺を訪れ、病気平癒を祈願し、効験を得たという。
 徳川三代将軍家光の側室「お楽の方」は岩船地蔵を信仰。江戸城に入る時、岩船から地蔵様を迎えて城内に祀り子孫繁栄と武運長久を祈った。その御利益を得て生まれたのが四代将軍家綱候と云われている。江戸時代中期以降になると、病気平癒、子育て祈願で各地から崇敬を集め、多くの講が結成された。1719(享保4)年には、石の船に乗った岩船地蔵が村継ぎで送られ、通過した村で岩船地蔵を建立する信仰が流行した。この信仰は関東から甲斐、信濃まで広まった。
 後者については、境内で一目瞭然である。山の斜面一帯に、物凄い数の塔婆が立ち並ぶ。境内には、賽の河原、血の池、霊場があり、霊場に塔婆が集まる。岩船山は、死者の集まるところ、霊魂のあつまるところで、春秋の彼岸には、父、母、きょうだい、わが子、水子の供養に登山する。
 寺宝には岩舟地蔵縁起5巻がある。
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みどころ

高勝寺は、死者の集まるところ、霊魂のあつまるところで、死後の世界を思わせる雰囲気がある。全国的に詠われる「帰命頂礼岩船の・・・」に始まる岩船地蔵和讃の舞台はここである。
 境内の山の斜面一帯に、物凄い数の塔婆が立ち並ぶ光景は、まさに死後の世界を思わせる。塔婆は、死者の霊を慰めるため、本堂に向けて竪、本堂の読経がきこえるように立てられているという。心してお参りしたい。
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補足情報

*岩船山は、172mと低山であるが、船のように横に長い大きな岩山で、町名にもなっている。安山岩質角礫凝灰岩からなり、古くから岩舟石として切り出されていた。
関連リンク 岩船山高勝寺(WEBサイト)
参考文献 岩船山高勝寺(WEBサイト)
パンフレット「日本三大地蔵 岩船山」
『栃木県の歴史散歩』山川出版、2007年

2022年06月現在

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