宇都宮二荒山神社うつのみやふたあらやまじんじゃ

二荒山神社は「下野国一の宮」であり、宇都宮はこの神社の門前町として発展した。神社の別称であった「宇都宮」が、市名の由来である。いまも神社は宇都宮一の繁華街にあり、市の中心部に建つ。大鳥居を通り抜け、石段をのぼり神門をくぐると、境内には拝殿・本殿・神楽殿などが立ち並ぶ。これらの社殿は1868(慶応4・明治元)年の戊辰戦争によって焼失し、1877(明治10)年に再建されたもの。『延喜式』に名神大社として記され、古くから多くの人々の崇敬を受けている。
 前九年合戦(1051~1062年)により戦勝の祈祷を行った藤原宗円は、その功績により社務職に任じられ、宇都宮氏の祖になった。3代宇都宮朝綱が社務を統括・監督する宇都宮検校職になって以来、宇都宮氏は中世を通じ、同社の神官を務めるとともに、宇都宮城主として下野に勢力を築いていった。
 1597(慶長2)年、宇都宮国綱が豊臣秀吉により改易処分を受け、社領が没収されたが、1602(慶長7)年、徳川家康によって、社領1,500石が寄進されて、社殿も再建された。
 同神社に伝わる「紙本墨書新式和歌集」は宇都宮一族をはじめ、源実朝や藤原定家ら、186人・875首の歌が収められており、「宇都宮歌壇」を形成していた宇都宮氏と京都・鎌倉の文化人との交流がうかがえる。
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みどころ

宇都宮市随一の交通量、賑やかな馬場通りに大きな鳥居と石段が見える。宇都宮の歴史は二荒山神社とともにあり、同神社の宇都宮での位置づけがわかる。
 七五三やお正月など、生活や人生の節目には多くの市民が参拝するなど、大変親しまれている。(溝尾 良隆)
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補足情報

*宇都宮の二荒山神社は「ふたあらやま」といい、日光の「二荒山神社」は「ふたらさん」という。
関連リンク 宇都宮二荒山神社(WEBサイト)
参考文献 宇都宮二荒山神社(WEBサイト)
『栃木県の歴史散歩』山川出版、2007年

2022年06月現在

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