山あげ祭やまあげまつり

1560(永禄3)年時の烏山城主那須資胤が、当地方の疫病防除、五穀豊穣、天下泰平を祈願し牛頭天王を烏山に勧請した。その祭礼の奉納余興として、当初は相撲や神楽獅子舞等が行われていた。やがて、江戸で常磐津所作が流行したのをきっかけに常磐津所作を奉納余興として行うようになり、今日のような絢爛豪華な野外歌舞伎舞踊となった。この「祭礼行事」は、現在6町輪番制で、毎年7月の第4土曜日を含む金曜、土曜、日曜の3日間行われる。山とは、網代状に竹を組んだ木枠に烏山特産の烏山和紙を幾重にも貼りその上に山水を描いた「はりか山」のことで、その「山」を人力であげることから、「山あげ」と呼ばれるようになった。
 全国でも類例のないこの「烏山の山あげ行事」は、1959(昭和34)年に栃木県重要文化財民族資料第1号に指定され、1963(昭和38)年に国選択の民俗資料、1979(昭和54)年2月には国重要無形民俗文化財に指定されている。
 また、2016(平成28)年12月には、全国33の祭礼行事とともに「山・鉾・屋台行事」としてユネスコ無形文化遺産にも登録された。
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みどころ

地元の特産である「烏山和紙」に山水を描いた高さ10mにもなる「はりか山」などを道路上にあげ(立て)、奥行き約100mにも及ぶ大きな舞台装置を設置する。一つの公演が終われば次の場所に舞台を移動。この際、若衆の一糸乱れぬ団体行動による舞台装置の設置や解体、山があげられる(立てられる)場面は迫力満点。道の真ん中が野外歌舞伎劇場に変わる様子は一見の価値あり。
 また、最終日の夕方に開催されるブンヌキも見る価値あり!ブンヌキは、各町の屋台が集って行われるお囃子の競演であり、リズムの良さ、音量の大きさと力強さ、維持力などを競う。当番町の木頭の合図で始まり、笛、太鼓、鉦が万雷のごとく響き渡る。お囃子の交代は一切できない。それは、その町の負けを意味するのである。異様、圧巻ともいえるこのブンヌキは必見。(溝尾 良隆)
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補足情報

*「山あげ祭」は、六町内が年番で毎年7月の第四土曜日を含める金・土・日の3日間行われる。
*那須烏山市と山あげ祭を紹介する「山あげ会館」がある。
関連リンク 山あげ祭(那須烏山市)(WEBサイト)
参考文献 山あげ祭(那須烏山市)(WEBサイト)
とちぎ旅ネット(公益社団法人栃木県観光物産協会)(WEBサイト)
パンフレット「山あげ祭」(那須烏山市)
パンフレット「山あげ会館と観光地づくりー山あげ祭」(烏山町(当時))
『月刊観光1972年2月号』社団法人日本観光協会

2022年06月現在

※交通アクセスや料金等に関する情報は、関連リンクをご覧ください。