那須烏山市は、栃木県の中東部に位置し、さくら市、那珂川町、高根沢町、市貝町、茂木町、茨城県常陸大宮市に接する。那珂川が市域の中央部東寄りを北から南へ貫流する。その西岸は河岸段丘と塩那丘陵が広がり、那珂川支流の荒川や、市の南部で荒川に入る江川などが南東流する。東岸は八溝山系の西斜面にあたる。
 JR東北本線から分岐するJR烏山線が南部を通る。那珂川沿いを国道294号が走り、北端部を293号が横切る。
 中世は那須氏の一族の勢力下にあった。1186(養和6・文治2)年、那須(森田)光隆が森田に城を築き、以後那須氏一族が森田城主であったという。江戸時代、森田町は烏山城下と奥州道中喜連川宿(さくら市)を結ぶ街道沿いの要衝を占め、旗本大田原氏の陣屋町(陣屋は隣村小塙村に所在)として発展。江戸時代、烏山町は烏山藩の城下町として整備され、現在の烏山市街一帯は南北に走る関街道(奥州道中の脇往還)と、那珂川沿いに設けられた河岸場が交わる水陸交通の要衝として発展、那須郡南部の物資集散地として賑わった。
 現在の基幹産業は農林業で、那珂川、荒川、江川流域の平野部での米作、ナシ、ウメなどの果樹栽培や畜産、スギ、ヒノキなどの八溝材の生産、シイタケやワサビ栽培などが盛ん。特産の伝統和紙(烏山和紙)は著名である。昭和50年代以降、富士見台工業団地や烏山東工業団地には機械、電気工業等の企業が進出した。
 那珂川西岸に古墳時代末期の大桶古墳群、荒川流域に千人塚古墳群などが分布する。鴻野山地区の長者ヶ平には源頼義・義家父子の奥州征伐にかかわる長者屋敷焼討伝説が残る。烏山市街の八雲神社の祭礼では、氏子がヤマを作って芸能を奉納する山あげ祭(国指定重要無形民俗文化財)が行われ、2016(平成28)年にユネスコの無形文化遺産に記載された。三箇地区の松原寺では、出羽三山に奥参りした地区の行人が豊作を祈願する塙の天祭(国選択無形民俗文化財)が行われる。

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山あげ祭の写真

写真提供:那須烏山市

山あげ祭 (栃木県 那須烏山市 )

1560(永禄3)年時の烏山城主那須資胤が、当地方の疫病防除、五穀豊穣、天下泰平を祈願し牛頭天王を烏山に勧請した。その祭礼の奉納余興として、当初は相撲や神楽獅子舞等が行われていた。やがて、江戸で常磐津所作が流行したのをきっかけに常磐津所作を奉納余興として行うようになり、今日のような絢爛豪華な野外歌舞伎舞踊となった。この「...