唐沢山城跡・唐沢山神社からさわやまじょうあと・からさわやまじんじゃ

佐野駅の北約4kmの唐沢山、247mの山頂に築かれた関東七名城の一つに数えられる広大な山城である。城郭は、山頂から東西に伸びる尾根や山腹を巧みに利用して、堀や土塁が設けられている。
 城は940(天慶3)年、大ムカデ退治の伝説で知られる藤原秀郷により築かれた。戦国時代、勢力を伸ばした佐野氏が唐沢山城を修築して居城とした。1600(慶長5)年、佐野信吉が平城の佐野城へ居城を移したため、唐沢山城は廃城になった。江戸時代、彦根藩の御林山となり厳しく管理される。明治時代は新政府の管理下に置かれた。1880(明治13)年から3年間、城を築いた藤原秀郷公を古城跡に祀る神社を創建しようと関係方面へ働きかけた結果、1883(明治16)年、神社設立、広大な官有林が払い下げられた。1890年(明治23)年には別格官幣社に加列された。
 車で行ける山頂にある唐沢山神社のあたりが本丸跡、レストハウスや駐車場は蔵屋敷にあたる。
 枡形を超えると、天狗岩になる。かつて物見台の役割を果たしていたとみられる。天狗岩の左手に、直径7mの大炊井戸がある。その南側の郭跡は天徳丸と呼ばれている。天徳丸の空堀が通称四つ目堀、続いて馬場跡に沿って、三つ目堀、二つ目堀と呼ばれる竪堀がある。馬場跡の突き当りが御局と称される郭跡で、その先の堀切が一つ目堀である。
 御局から石段を登ると本丸跡。ここから西にある二の丸にかけての石垣は保存状態がよく、一見に値する。本丸の東尾根にも郭跡が累々として残り、西から長門曲輪、金の丸、杉曲輪、北城と呼ばれている。
 城下集落は山の西麓に、土塁や堀をめぐらして家臣団の屋敷が立ち並んだ。秋山川に沿って南北に連なり、佐野氏の菩提寺である興聖寺や本光寺も配置された。秋山川の西岸、栃本地区にはいまでも古い町並みが残されているが、これは1616(元和2)年に佐野を領した本田正純が行った宿割によって成立した栃本宿の名残りである。
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みどころ

城郭は、山頂から東西に伸びる尾根や山腹を巧みに利用して、堀や土塁が設けられている。その大きさには圧倒される。また、本丸周辺には高さ8mを超える高石垣や、東日本最大ともいわれる鏡石をはじめ、数多くの見所がある。かつて物見台の役割を果たしていたとみられる天狗岩からは、関東平野が一望できるほどの絶景が見られる。
 唐沢山城跡と、明治を迎え、一族、旧臣が藤原秀郷公の遺徳をしのび、本丸跡に創建した唐沢山神社との密接な関係に思いをはせて訪れたい。(溝尾 良隆)
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補足情報

*唐沢山城は県立自然公園として整備されており、ハイキングが楽しめるようになっている。
関連リンク 唐澤山神社(WEBサイト)
参考文献 唐澤山神社(WEBサイト)
『栃木県の歴史散歩』山川出版、2007年
パンフレット「唐沢山城跡」
パンフレット「千年の古城跡 唐沢山神社」

2022年06月現在

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