楽法寺(雨引観音)
坂東三十三ケ所第24番札所。加波山の尾根続きになる雨引山の中腹斜面に真壁城の薬医門を移築した黒門をはじめ、仁王門*、本堂、鐘楼堂、多宝塔、本坊、客殿など多数の堂宇が甍を並べ、仁王門の脇には城郭を思わせる大石垣がそびえる荘厳な寺である。
587(用明天皇2)年中国の帰化僧法輪独守の創建と伝え、その後、勅願寺として朝廷や真壁氏・足利氏の崇敬を得、特に徳川氏から百五十石の扶持と十万石の格式を与えられた。安産の信仰を集めている本尊の観世音菩薩(延命観音)は秘仏だが、一木造で弘仁期(810~824年)の密教彫刻の特徴を示し、前立の観音も鎌倉時代の作といわれている。本尊が観音様であることから「雨引観音」と呼ばれ、親しまれている。寺域*は6万6,000m2と広く、春の桜や秋の紅葉が美しく、6月上旬から7月中旬には約10種3,000株のアジサイが目を楽しませてくれる。また、仏教では吉鳥といわれるクジャクが放し飼いになっており、時折、羽を広げながら闊歩している。毎年4月の第2日曜日に催されるマダラ鬼神祭*は関東の奇祭として多くの人が出る。真言宗豊山派。
587(用明天皇2)年中国の帰化僧法輪独守の創建と伝え、その後、勅願寺として朝廷や真壁氏・足利氏の崇敬を得、特に徳川氏から百五十石の扶持と十万石の格式を与えられた。安産の信仰を集めている本尊の観世音菩薩(延命観音)は秘仏だが、一木造で弘仁期(810~824年)の密教彫刻の特徴を示し、前立の観音も鎌倉時代の作といわれている。本尊が観音様であることから「雨引観音」と呼ばれ、親しまれている。寺域*は6万6,000m2と広く、春の桜や秋の紅葉が美しく、6月上旬から7月中旬には約10種3,000株のアジサイが目を楽しませてくれる。また、仏教では吉鳥といわれるクジャクが放し飼いになっており、時折、羽を広げながら闊歩している。毎年4月の第2日曜日に催されるマダラ鬼神祭*は関東の奇祭として多くの人が出る。真言宗豊山派。
みどころ
黒門をくぐり、145段の石段の磴道(とうどう)に入ると、石段の両側はこんもりとした林やアジサイの植栽が続き、その先の仁王門には、慶派の仏師作の金剛力士像が毅然と立っている。さらに登り左に折れると朱が際立つ17世紀末の建造といわれる観音堂が、大屋根を広げている。振り返ると真壁の田畑や家並みが樹幹越しに見え、加波山や筑波山の山並みが遠望できる。境内は広く、緑に埋もれた境内の諸堂を巡ると歴史の古さと密教系の信仰が深い影響を与えているのがわかる。
不定期ではあるが秘仏の開帳も行われる。(志賀 典人)
不定期ではあるが秘仏の開帳も行われる。(志賀 典人)
補足情報
*仁王門:仁王門に安置する金剛力士立像は鎌倉時代前期の運慶や快慶で知られる「慶派」の仏師によって彫られた可能性が高いとされている。
*寺域:寺の駐車場には「薬膳中華茶坊三笠」があり、ウコンや蓮の実などの中薬を食材にした医食同源の中華料理を供している。
*マダラ鬼神祭:マダラとは古代インド語で神通力をもつ守護神のことで、開創の法輪独守居士が延命観世音菩薩を捧持し東シナ海を渡航中、嵐にあった際にマダラ神に助けられ、航路を開いたと伝えられている。これが伏線となり、1396(応永3)年同寺が焼失したときに覆面し面を被った職人集団が、無償で仮本堂を建設したという説話が生まれたという。これがマダラ鬼神祭の原点だとされている。仁王門から宮殿までマダラ鬼神や鬼たち、稚児などが石段を登り、そのあと49本の破魔矢を射たり、供奉する鬼たちの踊りがある。
*寺域:寺の駐車場には「薬膳中華茶坊三笠」があり、ウコンや蓮の実などの中薬を食材にした医食同源の中華料理を供している。
*マダラ鬼神祭:マダラとは古代インド語で神通力をもつ守護神のことで、開創の法輪独守居士が延命観世音菩薩を捧持し東シナ海を渡航中、嵐にあった際にマダラ神に助けられ、航路を開いたと伝えられている。これが伏線となり、1396(応永3)年同寺が焼失したときに覆面し面を被った職人集団が、無償で仮本堂を建設したという説話が生まれたという。これがマダラ鬼神祭の原点だとされている。仁王門から宮殿までマダラ鬼神や鬼たち、稚児などが石段を登り、そのあと49本の破魔矢を射たり、供奉する鬼たちの踊りがある。
関連リンク | 雨引観音(WEBサイト) |
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参考文献 |
雨引観音(WEBサイト) 観光いばらき(一般社団法人茨城県観光物産協会)(WEBサイト) |
2020年12月現在
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