山五十川の玉スギやまいらがわのたますぎ

JR羽越本線五十川駅から五十川沿いに6kmほど山間に入り、支流の温俣川がつくる沢の斜面にある熊野神社の境内に立つ。樹高36.8m、根元幹囲が22.2m、目通幹囲11.4mの杉の巨木で半球状の樹冠を有し、姿が良いことから、この名がついたという。樹齢は1,500年くらいといわれているが、樹勢は旺盛で太い根幹は斜面をしっかりつかみ、一部は地表に露出している。
 熊野神社の縁起では、806(大同元)年に熊野権現が歓請され、その際、村内にあったスギの巨木をご神木と定めてお祀りしたと伝えられている。1874(明治7)年の神仏分離により、須佐男命・奇稲田姫命を祭神とする「熊野神社」と改称したが、その後も神木として地元の住民が中心になって保護にあたっている。
 玉スギのある山五十川は、縄文時代の遺跡が発見され定住が確認さている歴史のある集落で、山戸能*や山五十川歌舞伎*などの伝統芸能が伝承されている。
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みどころ

五十川沿いから支流の温俣川の沢筋を入った高台の集落のなかに、熊野神社と玉スギの駐車場がある。そこから深閑とした森の中、230数段の急こう配の石段を登り詰めると、開けた空間が見え、そこに大きな幹と羽を広げたような巨木のスギが斜面にしっかりと立ち、仰ぎ見ることができる。少し離れた場所に熊野神社の小さな社があるが、ここではやはり、主役はこの巨大な玉スギだ。周囲は保護のため円形に柵が設けられ、近づくことはできないが、玉スギの周りを1周できる。仰ぎ見る位置によって枝ぶりの違いや樹幹の形の変化を観察することができる。
 名前のとおり、樹冠が半球上に広がっており、整った形状が特徴の巨木である。(志賀 典人)
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補足情報

*山戸能:山五十川の鎮守「河内神社」の例大祭に行われる神事能。始まりについては、未詳だが、古くは866(貞観8)年頃に伝えられたという説や寛永年間(1624~1644年)に伝えられたという説などがある。台本としては120番保存されており、1901(明治34)年頃までは実際に演じられていたいたが、現在は「羽衣」「高砂」「猩々」「賀茂」「竹生島」「舟弁慶」「兼平」「春日龍神」「羅生門」の9番が、毎年5月と11月の例大祭に1番づつ奉納上演される。
*山五十川歌舞伎:始まりは諸説あり、古くは宝永年間(18世紀初頭)とされるが、1792(寛政4)年に疫病を祓い村を救った湯殿山鉄門海上人(のちに即身仏となった僧侶)へのお礼として演じたのが公演の初出ともされる。主な演目は、「仮名手本忠臣蔵」「菅原伝授手習鑑」「義経千本桜」など14狂言、37場が演じられている。山戸能と同様に「河内神社」の例大祭で披露される。