本間美術館ほんまびじゅつかん

JR羽越本線酒田駅の北西約500mにある。美術館は、2万m2の敷地内に、本館の京風建築の清遠閣と池泉回遊式庭園の鶴舞園、および美術展覧会場の新館からなる。清遠閣と鶴舞園は、酒田の豪商、大地主として知られた本間家*の4代光道が藩主酒井侯の領内巡検宿泊施設として別荘を造ったのがはじまり。
 清遠閣は、茶室「六明廬」を備えた京風の書院造り2階建て。2階からは鶴舞園の全景を見渡すことができる。館内には、本間家に関する収蔵品などが常設展示されている。鶴舞園は、鳥海山を借景にして、池を中心に園路が巡らされている。南側には「里山」を配し、地元産はじめ全国の銘石や石灯籠が集められており、山深い渓谷、滝を模し渓流に沿う人里までの景観をコンパクトに表現している。
 1947(昭和22)年に、本間家は清遠閣と鶴舞園を美術館として一般開放し、続いて1967(昭和42年)年に多様な収蔵物の公開や県内外の作家の作品を企画展示するための新館を敷地内に建設し開館した。
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みどころ

清遠閣は、庭園の眺望を重視した建物で開放感にあふれる。内装は手漉きのガラスの窓やシャンデリアなど大正ロマンを思わせ、欄間や欅造りの重厚な階段などの造作、細工に緻密な工夫がなされている。
 鶴舞園は酒田駅近くの町中にありながら、鳥海山を借景にし、深山幽谷や渓流、山家を模した庭園は、山水画の世界に迷い込んだような空間が広がる。庭からの清遠閣の姿も美しい。また、池に四季折々の植栽の色合いが映る様もみどころ。(志賀 典人)
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補足情報

*本間家:本間家の祖先は永録年間(1558~1570年)に越後から移住したとされ、1689(元禄2)年に分家した原光が新潟屋を開業し、現在も続く本間家の初代となったといわれる。酒田は16世紀末には最上川流域の米の集散地として米倉が建つようになっていたといわれ、さらに1672(寛文12)年には、江戸の飢饉に際し、幕府は豪商河村瑞賢に命じ、酒田港から御用米を江戸へ回漕させたことから西回りの「回米航路」が開け、コメ、ベニバナなど庄内、奥羽の特産品の積み出し港として栄えた。その中でも本間家は、「本間様には及びもせぬが、せめてなりたや殿様に」と俗謡に謡われるほどの豪商となった。本間家3代光丘のときに五百石の知行帯刀を許された。明治・大正・昭和期は大地主として知られ、社会事業にも力を入れた。
関連リンク 本間美術館(WEBサイト)
参考文献 本間美術館(WEBサイト)
酒田市(WEBサイト)
山形県(WEBサイト)

2020年12月現在

※交通アクセスや料金等に関する情報は、関連リンクをご覧ください。

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