鶴岡市の中心街から南へ約10kmの黒川集落にある春日神社*の神事能で、氏子(農民)によって継承されてきた。起源は諸説あり、9世紀後半に清和天皇が黒川を訪れた際に伝えられたとするものや、15世紀初めに後小松天皇の第三王子小川の宮が黒川に入り、その従者が伝えたとするものがあるが、いずれも口伝の域をでない。史料記録などはないものの、黒川能が伝承してきた風体は、観阿弥・世阿弥時代の古いものをそのまま残しているところから、15世紀後期から16世紀前期には定着していたとみられている。その定着に寄与したのが、同時代の領主であった武藤淳氏以降の武藤家*だとされ、江戸時代に入ると、庄内藩主の酒井家*がこの神事能を藩の式楽として庇護したことも継承につながった。現在も能楽五流である観世・宝生・金春・金剛・喜多のいずれにも属さず、独自の能楽の風体、形式を保持している。
 春日神社の氏子は上座(かみざ)と下座(しもざ)のふたつの座に分かれ、それぞれ70名程度の男子が舞方・狂言方・囃子方として生業を持ちながら活動、奉仕している。
 神事能が奉納されるのは、2月1日 「元朝祭(王祇祭*)」、2月2日 「大祭(王祇祭)」、3月23日 「祈年祭」、5月3日 「例大祭」、11月23日 「新嘗祭」である。このほか、7月最終土曜日の「黒川能野外能楽『水焔の能』」、10月中旬の「黒川・蝋燭能」や7月15日の「出羽三山神社の花まつり」などでの公演もある。これらを観能するためには、一部、予約や玉ぐし料が必要な神事能、公演もあるので、事前の確認が必要だ。
 春日神社の境内には郷土文化保存伝習館「黒川能伝習館」があり、地域活性化と文化の継承を目的として集会や体験学習、可動式の能舞台も備え仕舞*鑑賞等にも利用されている。また神社の隣接地には王祇会館があり、能面や衣装、黒川能に関するパネルなどが展示され、関連書籍、能人形、特産品などの売店もある。
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みどころ

黒川能は春日神社の神事能として年4回、奉納されるが、もっとも重要なお祭りは王祇祭といわれ、黒川の人びとの生活サイクルは、王祇祭を中心にめぐっているともいう。儀式性の強いものから、黒川独自の演目、現在の五流にも通じる演目が次々に演じられる。そのなかでも謡や囃子、面装束に黒川独自の技法がうかがえたり、展開が異なったり、あるいは古風な技法や黒川能特有の土俗的な能面であったりと、能の古い姿や源流を垣間みることができ、興味が尽きない。
 夏に野外で行われる「水焔(すいえん)の能」は五穀豊穣と招福息災を祈願して行う。「水面に映し出される能楽」と「かがり火のゆらめき」が幻想的である。また、10月中旬に行われる、「黒川・蝋燭能での交流会」は春日神社内の能舞台で蝋燭の灯りが揺らめくなか、黒川能が舞われ、幽玄の世界を楽しめる。(志賀 典人)
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補足情報

*春日神社:平安時代初期の807(大同2)年に創建されたと伝えられる。祭神は健御雷命・伊波比主命・天津児屋根命・比売命。江戸時代は「四所明神」として敬われていたが、明治期の神仏分離令により、「春日神社」と名を改めた。歴代領主の信仰も篤く、鎌倉時代(13世紀)より室町時代(16世紀)にかけて庄内地方を支配した武藤家をはじめ、上杉景勝、最上義光などが社殿の修復や社領地の安堵を与えている。さらに江戸時代には酒井家の庄内入部後も社領地を安堵したうえで、神事能を保護した。
*武藤家:12世紀後半に武藤家は庄内地方の地頭となり、5代目の長盛からは大宝寺氏を名乗った。1462(寛正3)年には11代大宝寺(武藤)淳氏が出羽守に任ぜられた。同時期に淳氏の子政氏が羽黒山別当となり、羽黒山の支配権を握った。19代義興に至り、1587(天正15)年最上義光攻められ自害、本庄氏からの養子であった20代目義勝は一時、庄内を取り戻したものの、その後、義勝は本庄氏に戻ってしまったため、ここで武藤家は断絶した。春日神社の社紋の「六つ目結紋」は武藤氏の家紋と同じで、武藤家と春日神社や黒川能の関係の深さを偲ばせる。
*酒井家:信州松代から酒井忠勝が14万石で入部。譜代大名として奥羽の外様各藩への重しとして配置された。鶴岡を城下に12代にわたり、明治維新まで同地を治めた。明治維新では、奥州列藩同盟の中心として新政府軍に最後まで抵抗を示した。酒井家は代々、黒川能を藩の式楽として保護した。1690(元禄3)年、4代藩主酒井忠真のお国入りに際には黒川能が初めて上覧され、その後も諸道具や衣類の調達を支援し、江戸期には10回ほどの上覧能が続けられた。
*王祇祭:「王祇祭」の名称は第2次世界大戦後のもの。もとは「正月の神事」あるいは「旧例祭」と称し、俗称は「豆腐祭」と呼ばれていた。2月1日未明に春日神社の神霊が宿る王祇様を上座、下座それぞれの「当屋」になった氏子の家に迎え、振る舞いが行われた後、幼児が勤める「大地踏」が行われ、その後、「黒川能」の式三番、能5番、狂言4番が演じられる。翌日は、ご神体が春日神社に還り、神前で脇能、大地踏、式三番が行われる。振る舞いには「凍み豆腐」が出される。
*仕舞:「能で、クセ・キリ・段・道行など、一曲の見せ場である独立した一部分をシテ一人が紋服・袴の姿で地謡だけで舞うこと」(大辞林)

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