本山慈恩寺ほんざんじおんじ

JR左沢線羽前高松駅から北へ約2kmにある。746(天平18)年に聖武天皇の勅命により、東大寺の毘盧遮那仏(大仏)の開眼を行った導師婆羅門僧正が開山したとも伝えられる古寺で、聖武・鳥羽・後白河3帝の勅願所であった。宗派としては当初、興福寺系の法相宗であったが、その後、天台、真言、時宗の影響もうけ、同時に葉山権現など修験道との関係も見られる。このため、塔頭や所蔵仏像にその名残を数多く見いだすことができる。
 山形城主最上一族*の帰依が厚く、この地が幕府領となってからも二千八百石の寺領を与えられ、多くの寺侍、寺百姓を抱えて東北でも屈指の規模を誇った。第2次世界大戦後は一山で独立し、慈恩宗の本山として活動している。
 現在は、隆盛期に比すほどのものはないが、寒河江川河畔の広大な境内に本堂・三重塔などの堂宇が立ち並び、その面影を残す。また、4度の火災に遭いながらも、多くの木造の仏像を所蔵している。
 慈恩寺裏手の山王台からは葉山や月山・朝日連峰を存分に見渡すことができる。一切経会(5月5日)の日には平安期から伝わるという林家舞楽*が奉奏される。
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みどころ

本堂は弥勒堂ともいい、桁行7間、梁間5間、茅葺の単層入母屋造。1618(元和4)年に最上義俊が再建したもので、蟇股などに桃山様式をよく伝えており、質素だが品格を感じる。
 境内のその他の建造物もそれぞれの歴史的背景を有しており見ごたえがある。山門は3間1戸の楼門造で入母屋造り。1736(元文元)年に落慶したもので、林家舞楽の奉奏時にも利用される。三重塔は1830(文政13)年に再建されたものだが、鎌倉時代の後期の作といわれる大日如来(山形県指定文化財)が収められている。
 本堂や塔頭に収蔵された仏像群も秘仏も含め、国指定の重要文化財も多く、多くの宗派の影響を受けており興味深い。また、収蔵している仏像等には、4度の火災の痕跡が遺るものもあり、寺僧たちが火災時に懸命に守り抜いてきたことが分かる。(志賀 典人)
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補足情報

*最上一族:1356(延文元)年に足利一門の斯波兼頼が山形に入部したのち、最上氏と称して代々羽州探題を任じた。一時内紛のため、衰退期もあったが、11代の義光の時、1581(天正9)年には最上郡を制圧し、その後も天童・寒河江などを攻略、庄内へも進出を図った。1600(慶長五)年の関ヶ原合戦では東軍(徳川)方につき、その結果、山形県の大半と秋田県の一部を支配する山形藩藩主として大大名となった。しかし、義光の死後、「最上騒動」で知られるお家騒動が起こり、1622(元和8)年に最上氏は改易となった。
*林家舞楽:国指定重要無形民俗文化財。860(貞観2)年に、慈覚大師が立石寺を開山した際、同道した四天王寺の楽人林越前守政照が四天王寺の舞楽を山寺に伝えたとされ、現在も林家が山寺・慈恩寺・谷地八幡宮の舞楽を伝承し司っている。林家舞楽は早くに地方に下ったため、平安中期以降の楽制改革(日本化)の影響が少なく、よりシルクロードの面影をとどめていると評される。現在は11曲を伝承し、慈恩寺では5月5日の一切経会で、そのほか立石寺や谷地八幡宮においても奉奏している。

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