花輪ばやし(花輪祭の屋台行事)はなわばやし(はなわまつりのやたいぎょうじ)

花輪祭の屋台行事(通称:花輪ばやし)はJR花輪線鹿角花輪駅から東約3kmにあるこの地方で古くから産土神として信仰を集めていた幸稲荷神社(さきわいいなりじんじゃ)*1の例大祭の祭礼囃子として伝承されてきた。祭、囃子*2の起源については、定かではないが、明確な記録*3としては、1765(明和2)年の尾去沢銅山の「御銅山御定目帳」のなかに「花輪稲荷、毛馬内月山と隔年之祭礼也。尤花輪ハ七月廿日、毛馬内ハ六月四日なり」として記されている。毛馬内の月山神社と隔年で祭礼が催されていたことが記録されているので、江戸中期には成立していると思われている。昭和35年からは花輪神明社の例大祭が加わり、氏子10町内による10基の屋台が花輪の市街を巡行する。
 幸稲荷神社の例大祭は8月16日から20日までの5日間で、そのうち19、20日は屋台運行と囃子の奉納が行われる。19日の夕方から各町内の屋台が御旅所に集まり参拝し、サンサ(手打ち)が行われたあと、屋台の巡行が始まる。鹿角花輪駅前では「駅前行事」として全町の囃子の競演が行われ、得意の囃子が披露される。その後サンサが行われ、一旦町内に戻る。
 20日0時を回ったころに全屋台が米代川にかかる稲村橋に向かい、2時30分ころ、朝詰め行事が行われる桝形に向け巡行する。桝形では各町内の得意曲を奉納し、手締めのサンサを行い、それぞれ町内に戻る。翌20日は19日と同様に「駅前行事」を行った後、全屋台が赤鳥居に向かい、赤鳥居で祭りを締めくくるサンサを行う。
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みどころ

祭の最大のみどころは、19日に鹿角花輪駅前の広場で各町の屋台が勢ぞろいし、花輪ばやしを競演する「駅前行事」。優雅できらびやかな10基の屋台に提灯が飾られる。屋台の上では奥に三味線、笛、前面に太鼓の打ち手が、テンポの良い曲を奏でる。屋台の前面で踊るようにして鉦の打ち手がリズムをとり、大きな盛り上がりをみせる。ここでも締めにサンサが行われる。さらに未明の「桝形行事」に流れ、翌20日に行われる「赤鳥居行事(赤鳥居詰め)」まで、熱い祭礼は続く。
 また、隣接する町内と町内の境を町境といい、屋台が御旅所詰・朝詰め・赤鳥居詰めの目的地へ向かい、隣接する町内を通る際に交渉し挨拶を交わすが、この交渉が決裂すると屋台を接近させる「撥合わせ」が起こる。
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補足情報

*1 幸稲荷神社:元久年間(1204~1206年)中の火災によりそれ以前の記録が不明。代々の南部家の信仰が篤く1470(文明2)年の社殿再建をはじめ、その後の修築についても関わってきたとされ、承応年間(1652~1655)には3間4面の神殿、3間7間の拝殿を有していたという。現在の社殿は1942(昭和17)年に改築されたもの。祭神に豊受姫命、猿田彦命、天宇都女命。 
*2 囃子:太鼓、三味線、笛、鉦で構成される。伝承曲は勇ましいリズムの本屋台囃子(本囃子)、滝の風情を表現した二本滝、太鼓と笛のからみが絶妙な鞨鼓、朝霧にけぶる山野をイメージした霧囃子、雅楽的な雰囲気が盛り込まれた宇現響など12曲がある(開化宇現響を加えると13曲)。屋台の前部は床がなく、太鼓の打ち手は歩きながら演奏する。
*3 記録:1802(享和2)年の『盛岡藩家老席日誌 雑書』にも「一 花輪鎮守稲荷、七月十四日より廿日迄神事ニ付、当所若者共、晴天五日草取角力、并芝居興行支度旨、御代官口上書を以申出、角力・芝居廿三日願之通可申付旨、御目付を以申渡之」とあり、相撲や芝居も行われる盛大な祭りだったことがわかる。 
*4 10基の屋台:屋台はそれぞれ工夫を凝らした造りになっており、六日町の屋台は古い形式の屋台を再現し、谷内田町はケヤキとカツラをふんだんに使った金箔漆造りとなっている。中でも大町は1937(昭和12)年製作の最も古い屋台で深い彫りの飾りが風格を感じさせる。これらの屋台は祭りの開催期間を除き、「道の駅かづの あんとらあ」内の祭り展示館で見ることができる。
*5 桝形:鹿角街道から町部に入る桝形の形をした場所。旅行者などを出迎え、或いは見送った場所だといわれる。
関連リンク 鹿角市(WEBサイト)
関連図書 「秋田県の歴史散歩」山川出版社
参考文献 鹿角市(WEBサイト)
文化遺産オンライン(文化庁)(WEBサイト)
花輪ばやし若者頭協議会(WEBサイト)
花輪ばやし(花輪ばやし祭典委員会事務局)(WEBサイト)
『花輪ばやし』鹿角市教育委員会

2023年06月現在

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