角館祭りのやま行事かくのだてまつりのやまぎょうじ

角館祭りのやま行事は、角館総鎮守神明社と勝楽山成就院薬師堂の例祭に合わせ、毎年9月7日~9日の3日間催される。18丁内から武者人形や歌舞伎人形を乗せた18台の「やま(山車)」が、7日の夕方には神明社へ参拝し、8日には江戸期にこの地を治めた佐竹北家当主の上覧を仰ぎ、8日、9日には薬師堂を参拝するため市街地で曳き回される。「やま」の上には、笛、大太鼓、小太鼓、鼓、摺り鉦、三味線等の「おやま囃子」*1の囃し方が乗り、「手踊り」も舞われる。「やま」のそれぞれの参拝経路は決まっていないため、途中、「やま」が鉢合い、譲り合いの交渉が成立しない場合は、「やま」同士が激しくぶつかりあう「やまぶっつけ」*2が行われる。曳き回される「やま」以外にも置山があり、神明社鳥居前と薬師堂前、立町、角館駅前広場に置かれる。また、神明社や薬師堂のそれぞれの神事、祭事が行われ神輿も巡幸する。
「やま」、「おやま囃子」、「手踊り」の起源については定かではないが、「佐竹北家日記」*3に江戸初期の鹿島祭りや江戸中期の薬師堂の祭礼に現在の祭りの原形となるような記述があり、江戸後期には「おやま囃子」の完成期を迎え、「やま」、「おやま囃子」、「手踊り」が結びついたのもこの時期だとされる。明治期に入り神仏分離などの影響で行事の運営についても紆余曲折はあったが、1880(明治13)年から神明社と薬師堂のいずれの例祭、祭礼にも「やま」が出されるようになり、「やまぶっつけ」が始まったのは昭和初期からだという。
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みどころ

多彩な演目が流れる囃子は祭り気分を盛り上げ、「やま」の上の狭い舞台では、素朴だが優雅な秋田おばこたちの手踊りが祭りを華やかなものにしてくれる。優雅な手踊りとは対照的に激しい動きをみせ、この祭りの最大の見せ場となるのはやはり『やまぶっつけ』だ。ピーピーとホイッスル笛が吹き鳴らされるなか、重さ3tの「やま」が正面から何度もぶつかり合い、提灯の光や武者人形が大きく揺れ迫力満点。
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補足情報

*1 おやま囃子:丁内から参拝や上覧に向かうのが「上り山(のぼりやま)」、参拝後に曳き回される「道中囃子」あるいは「下り山(くだりやま)」、奉納の際に「やま(山車)」を動かす時には「寄せ囃子」と呼ばれる囃子が演奏される。囃子には、めり張りのある調子や豪快なもの、軽妙で拍子の早いものなど場面に合わせ用意されている。また、「やま」での踊りの囃子には「拳囃子」・「二本竹」の他に民謡でも知られる「秋田甚句」・「秋田おばこ」・「おやまこ」・「おいとこ」・「組音頭」など多彩な演目が奏でられる。  
*2 「やまぶっつけ」:8、9日には観光用として決まった場所と時間に行われ、9日には町内随所で、夜更けから朝方まで続けられる。
*3 「佐竹北家日記」:江戸期に角館を治めた佐竹北家の歴代当主らによる1674(延宝2)~1894(明治27)年の自筆記録。