西馬音内盆踊りにしもないぼんおどり

JR奥羽本線湯沢駅から北西に約9kmのところに旧西馬音内村(現・羽後町)の中心部がある。毎年8月16~18日の夕刻から深夜まで、300mほどの西馬音内本町通りの中央にかがり火が焚かれ、それを中心に300人以上の踊り手たちによって、手の振り、足さばきとも静かで優雅な動きの「音頭」、「がんけ」*1の2種類の踊りが披露される。踊り手たちは「端縫い(はぬい)衣装」*2と「藍染め浴衣」に編み笠や彦三頭巾(歌舞伎の黒子のような頭巾)をかぶるという独特な姿で踊る。お囃子は「寄せ太鼓」、「音頭」、「とり音頭」、「がんけ」*3の4種類があり、「地口」「甚句」*4の歌い手に笛、三味線、大太鼓、小太鼓、鼓、鉦などが奏でる。宵のうちは地口で囃される「音頭」から踊りはじめ、夜が更けてくるにつれ、「甚句」にのって「がんけ」が踊られる。
 西馬音内盆踊りの由来については、とくに記録は遺されていないが、口承によると、正応年間(1288~1293年)に蔵王権現(現在の西馬音内御嶽神社)の境内で豊作祈願の踊りが始原とされる。その後、関ヶ原の戦いで敗れた西馬音内城主小野寺氏の遺臣たちの亡者踊りが融合し、現在の本町通りで盆踊りとして踊られるようになったのは、天明年間(1781~1789年)だったと伝わる。かつては、送り盆の日から5日間踊ったといわれる。1935(昭和10)年に「全国郷土舞踊民謡大会」で紹介されることになり、衣装や踊り方が整えられ、現在の踊りの基本形が完成した。第2次世界大戦後、中断期もあったが、1947(昭和22)年「西馬音内盆踊り保存会」が結成され、踊り、お囃子、衣装の保存継承に努めている。
 2005(平成17)年には本町通りに、「西馬音内盆踊り」の保存継承の活動拠点や羽後町の観光交流拠点として「西馬音内盆踊り会館」*5が完成している。盆踊り本番の際は会館の2階から突き出すようにお囃子の櫓が建てられる。
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みどころ

1907(明治40)年西馬音内に滞在中の俳人・河東碧梧桐は「調子はゆるやかなもので、風に柳が靡くやうじゃ。足の運びかたをみても何れもキチンキチンと揃ふ。・・・中略・・・赤い帯や袖の動くのが、火に映えて美しい。初めて絵になる盆踊りを見た」と記し、古来の盆踊りの姿を遺すものとして、西馬音内盆踊りを称賛している。
 さらに碧梧桐は「浴衣を著た女の七人連れが現れた。すぐに拍子に乗って踊り出す。編笠を耳で結んだ眞紅の緒が一様に左向いたり右向いたりする、場中に一異彩を放つと見る間に、黒い頭巾で頭から顔へかけて包んだ、他の五六人連も現れる。著る物は思ひ思ひであるが、赤と白とを染め分けた帯がはりのシゴキは、房々と背ろに垂れるのが目立つ。雙手を上にあげる時、腕から先の白く見えるのも綺麗じゃ」と書き留めており、これにより、踊り、衣装が、まだ現在のように整う前ではあるものの、当時でも洗練された美しい踊りだったことがわかる。現在では、さらに洗練され、流麗優雅で芸術性の高い踊り振りをみせている。また、「音頭」「がんけ」の2種類の踊りに地口、甚句の語り口をのせて多様で変化のあるお囃子も楽しい。
この踊りをじっくりみるには、本町通りにある西馬音内盆踊り会館前に組み立てられる櫓の正面に位置する桟敷席がもっともよい(要予約)。
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補足情報

*1 「音頭」、「がんけ」:「音頭」の踊りは、優雅で静かななかにも抑揚があり、上方風の影響が見られるという。手指を大きく反らすことが踊りのアクセントとなっている。「がんけ」の踊りは「音頭」に比べてテンポが速いのが特徴で、振付には2種類あり、そのひとつは「輪廻転生」をあらわすものといわれ、このことから「亡者踊り」ともいわれる。「がんけ」の名は、雁の飛ぶ姿「雁形」、あるいは仏教用語の「勧化」「「願生化生」から来ている説もある。
「音頭」は「音頭」、「とり音頭」のお囃子に「地口」の詩を乗せ、「がんけ」は「がんけ」のお囃子に「甚句」を乗せて踊る。
*2 「端縫い(はぬい)衣装」:踊り手のうち、とくに女性の衣装は端布(はぎれ)を縫い合わせた端縫(はぬい)と呼ばれる風雅な着物、あるいは藍染めの浴衣に白足袋のいでたちで踊る。顔を見せないように編み笠または彦三頭巾と呼ばれる黒頭巾をすっぼり冠る。彦三頭巾は亡者の姿だとされ、精霊とともに踊るという亡者踊の由縁の面影を遺している。この風雅な「端縫い衣装」を着ることができる踊り手は周囲から踊り上手と認められたものに限られる。
*3 「寄せ太鼓」、「音頭」、「とり音頭」、「がんけ」:小気味よい太鼓の連打と甲高く響く笛の早いリズムで参加者を集める寄せ太鼓が打ち鳴らされ、掛け声が入り、踊りが始まる。お囃子の曲は、まず、朴とつな「地口」とともに「音頭」が囃され、さらに哀調と高揚感のあるメロディを笛が主役になって奏でられる「とり音頭」となる。このお囃子が繰り返され、最後に「甚句」で踊る「がんけ」のお囃子が奏でられる。「がんけ」は、落ち着いた哀調を帯びた曲調だが、終了間近にはテンポに大幅な緩急がつけられ、踊り手たちとの駆け引きで、本町通りの会場は盛り上る。
*4 「地口」「甚句」:もともと「地口」とは、秋田県南部で使われるはやし言葉を意味する単語。基本的に「8、8、9、8、8、9」の6句からなる節回し。内容は即興的なものから、笑い話、風刺や生活感溢れる事象をとりあげている。「甚句」は民謡の伝統的な形式で、「7、7、7、5」の4句で構成。かつては他の地方の影響が色濃い歌詞が使用されていた時期もあったが、現在は公募などによって情緒豊かな格調高いものになっている。
*5 「西馬音内盆踊り会館」:館内には、踊り手の古い衣装、盆踊りの様子を人形で再現したもの、藍染めの壁掛け、キルトのタペストリーなどが展示されており、盆踊りの映像資料も鑑賞できる。入館無料。月に1度、西馬音内盆踊りの定期公演も行われている。