瑞巌寺
JR仙石線松島海岸駅より北北東方向に向かって徒歩で10分ほどの、松島海岸から国道45号線を挟んだ北側に位置する。
伊達政宗が創建した菩提寺として知られる古刹。正式名称は「松島青龍山瑞巌円福禅寺」という。
828(天長5)年、平安時代初期に、比叡山延暦寺第3代座主・慈覚大師円仁により開創された天台宗延福寺がその前身と伝わる。鎌倉時代中期に執権・北条時頼が法身性西禅師(ほっしんしょうさいぜんじ)*を開山し、臨済宗建長寺派に改宗を行い、円福寺と改めた。そして16世紀末に、現在の臨済宗妙心寺派に属することになった。
関ヶ原の戦い後に、伊達政宗は仙台城の築城とともに神社仏閣の造営を進め、1609(慶長14)年、5年の歳月をかけて瑞巌寺を完成させた。
豪華絢爛な桃山文化を伝える貴重な建築物として、本堂、庫裡及び廊下が国宝に指定されている。2018(平成30)年には、10年に及ぶ平成の大修理が完了し、創建当時の姿が甦った。また、境内にある宝物館では、国指定重要文化財をはじめとする多くの寺宝を展示公開している。
伊達政宗が創建した菩提寺として知られる古刹。正式名称は「松島青龍山瑞巌円福禅寺」という。
828(天長5)年、平安時代初期に、比叡山延暦寺第3代座主・慈覚大師円仁により開創された天台宗延福寺がその前身と伝わる。鎌倉時代中期に執権・北条時頼が法身性西禅師(ほっしんしょうさいぜんじ)*を開山し、臨済宗建長寺派に改宗を行い、円福寺と改めた。そして16世紀末に、現在の臨済宗妙心寺派に属することになった。
関ヶ原の戦い後に、伊達政宗は仙台城の築城とともに神社仏閣の造営を進め、1609(慶長14)年、5年の歳月をかけて瑞巌寺を完成させた。
豪華絢爛な桃山文化を伝える貴重な建築物として、本堂、庫裡及び廊下が国宝に指定されている。2018(平成30)年には、10年に及ぶ平成の大修理が完了し、創建当時の姿が甦った。また、境内にある宝物館では、国指定重要文化財をはじめとする多くの寺宝を展示公開している。

みどころ
総門をくぐると、かつては杉木立に包まれ幽すいさが漂ったが、東日本大震災時の津波による塩害によって木々は立ち枯れ、やむなく伐採された。
総門を入り右手におれた東側の崖には、洞窟遺跡群が続く。洞窟の壁面には供養塔や五輪塔、戒名等が無数に刻まれており、供養場として使用されていたことが窺える。
中門を入ると正面には本堂*、右手に庫裡があり廊下*で結ばれる。前庭には、政宗が朝鮮から持ち帰り、瑞巌寺の上棟祝いに手植えしたと伝わる臥龍梅と名付けられた紅白の梅がある。
本堂の外観は禅宗らしい佇まいだが、中のふすま絵や欄間は煌びやかな絵画が施されており、伊達者といわれた政宗らしい華やかさが感じられる。
境外仏堂の五大堂*へは、参道をもどり、国道45号線を越えて、「透かし橋」と呼ばれる朱塗りの橋を渡る。
総門を入り右手におれた東側の崖には、洞窟遺跡群が続く。洞窟の壁面には供養塔や五輪塔、戒名等が無数に刻まれており、供養場として使用されていたことが窺える。
中門を入ると正面には本堂*、右手に庫裡があり廊下*で結ばれる。前庭には、政宗が朝鮮から持ち帰り、瑞巌寺の上棟祝いに手植えしたと伝わる臥龍梅と名付けられた紅白の梅がある。
本堂の外観は禅宗らしい佇まいだが、中のふすま絵や欄間は煌びやかな絵画が施されており、伊達者といわれた政宗らしい華やかさが感じられる。
境外仏堂の五大堂*へは、参道をもどり、国道45号線を越えて、「透かし橋」と呼ばれる朱塗りの橋を渡る。

補足情報
*法身性西禅師:(1189~1273年)常陸国真壁郡生まれ。国守の下僕になったが、恥辱を受け入道。宋に渡り無準師範に帰依し、帰国して松島円福寺を開く。
*本堂:正面38m、奥行24m、単層で入母屋造、本瓦葺。三方に上縁と下縁をめぐらし、内部は中央に仏間を配し、10室に区切られている。欄間の彫刻は極彩色を施し、各間の障壁画は狩野派や長谷川等胤の絵で飾られている。
*庫裡および廊下:正面13.8m、奥行23.6m切妻造の本瓦葺で大屋根の上には入母屋造の煙出しを載せている。
*五大堂:瑞巌寺の南東約500m、国道45号線を挟んだところにある。松島海岸広場の東端、小島の上に立つ。現在の建物は、伊達政宗が戦勝の御礼として再建したもの。屋根は単層宝形造、本瓦葺で、蟇股には方位に従い十二支の彫刻が配されている。五大堂の中の五大明王はブロンズ復元像で、木像五大明王像は宝物館に収蔵され、秘仏として33年に1度開帳される。
*本堂:正面38m、奥行24m、単層で入母屋造、本瓦葺。三方に上縁と下縁をめぐらし、内部は中央に仏間を配し、10室に区切られている。欄間の彫刻は極彩色を施し、各間の障壁画は狩野派や長谷川等胤の絵で飾られている。
*庫裡および廊下:正面13.8m、奥行23.6m切妻造の本瓦葺で大屋根の上には入母屋造の煙出しを載せている。
*五大堂:瑞巌寺の南東約500m、国道45号線を挟んだところにある。松島海岸広場の東端、小島の上に立つ。現在の建物は、伊達政宗が戦勝の御礼として再建したもの。屋根は単層宝形造、本瓦葺で、蟇股には方位に従い十二支の彫刻が配されている。五大堂の中の五大明王はブロンズ復元像で、木像五大明王像は宝物館に収蔵され、秘仏として33年に1度開帳される。
関連リンク | 瑞巌寺(WEBサイト) |
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参考文献 |
瑞巌寺(WEBサイト) 宮城県(WEBサイト) 『宮城県の歴史散歩』 宮城県高等学校社会科(地理歴史科・公民科)教育研究会歴史部会=編 山川出版社 |
2025年07月現在
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