金華山黄金山神社きんかさんこがねやまじんじゃ

鮎川から毎日曜日に船が運行され、金華山まで20分。それ以外の曜日でも、予約をすれば海上タクシーで、人数によっては定期船とそれほど違わない料金で行くことができる。女川港からも金華山へ毎日曜日・祝日1便運行し、約40分で到着する。
 牡鹿半島の南突端に、幅800mの金華山瀬戸をはさんで浮かぶ東西約4km、南北約5kmの角錐状の島。中央には、山と島の名称を兼ねる標高445mの金華山がそびえている。島内は原生林に覆われた自然のままで、野生のシカ*や猿が生息する。近年、増えすぎたシカの食害により、原生林の世代交代が阻止され草原化しつつある。しかもマツクイムシの被害で、マツが枯れてしまい、裸地化の危機が迫っている。人口は4人、神職のみである。参集殿に宿泊は可能である。島内にある灯台は、140年以上経つ県内最古である。
 黄金山神社は金華山の西側中腹に鎮座し、牡鹿半島を間近に望むゆるやかな山の斜面に社殿が立つ。金銀財宝、開運招福の神として信仰を集める。山頂には奥ノ院である大海祇(おおわだつみ)神社があり、社殿の横からお山まわりの道が通じている。また、鳥居付近の鹿山公園の芝生には野生のシカが群れている。土井晩翠詩碑も立つ。
 社伝*によると、大伴家持が「すめらぎの御代栄えんと東なるみちのく山に黄金花咲く」と詠んだことから、749(天平21)年、陸奥産金をたたえ、建立したのが始まりとされる。神仏習合が行われ、永万・仁安年間(1165~1169年)のころ、藤原秀衡(ひでひら)により堂8坊が建立され、別当を大金寺と称した。天正年間(1573~1592年)に全焼し、1593(文禄2)年下野の僧武蔵長俊が復興、以後伊達藩に保護、崇敬された。中世には、霊場として信仰されたところで、明治以前は女人禁制の島であった。明治の神仏分離令で寺号を改め神社となった。
弁財天の神使が蛇(巳)であることに因んで、5月初巳から1週間、初巳大祭が行われる。
#

みどころ

島内には、黄金山神社や千人沢・千畳敷などみどころが多い。探勝は昔から「お山まわり」といわれるコースがあり、それには表・裏のコースがある。表まわりは桟橋~黄金山神社~滑石神社~大海祇(おおわだつみ)神社(頂上)で往復約4km、1時間。裏まわりは島内で一泊した方がよく、桟橋~大海祇神社(頂上)~芍薬園~千人沢・千畳敷~大函崎~賽ノ河原~黄金山神社~桟橋で約20km、6時間である。
 なお、金華山周辺の海域は黒潮と親潮が混ざり合う良質な漁場として知られている。この金華山沖で漁獲され、石巻港に水揚げされた旬の大型の真鯖は、脂がのり身が厚く引き締まっているのが特徴で、「金華鯖」として高値で取引されている。金華山往訪にあわせて、石巻周辺で貴重な金華鯖をぜひ賞味したい。
#

補足情報

*野生のシカ:栗駒・蔵王山地に生息していたものが、牡鹿半島に移動し、一部が半島を渡ってきたといわれる。神鹿として保護されてきたため、殺生が禁じられ、駆除はできない。そのため鹿は300~700頭の間で増減を繰り返している。慢性的な栄養不足で、冬に大雪などがあると数百頭が死んでしまうし、シカが下草を食べ尽くすと芝が広がり、植生が破壊されるが、シカも食糧不足になる。毎年10月第1日曜日に、神鹿角切り行事が催される。角切りは神鹿華角会と神社職員が牡鹿との対決をし、捕らえた後は神官によって角が切り落とされる。
*社伝:産金伝説には諸説あり、産金地は現在の宮城県遠刈田涌谷町に鎮座する「黄金山神社」という説もある。涌谷町の黄金山神社は1967(昭和42)年に、「黄金山産金遺跡」として国の史跡に指定されている。
関連リンク 金華山黄金山神社(WEBサイト)
参考文献 金華山黄金山神社(WEBサイト)
宮城まるごと*探訪(公益社団法人 宮城県観光連盟)(WEBサイト)
『宮城県の山』曽根田 卓著、早川 輝雄著、渡辺 寿夫著、福井 美津江著 山と渓谷社
『菅江真澄遊覧記巻3』菅江真澄 平凡社

2023年09月現在

※交通アクセスや料金等に関する情報は、関連リンクをご覧ください。